2014/08/26

「これっぽっち」のバリエーション

0.
先週はパーティや呑み続きで、料理ばっかりしていた気がする。
初めて一人暮らしをはじめた時は、やっぱり名前のついている料理しか作れなかったし、そもそも料理といって思いつくものは自宅で食べていたものだから、なにもかもが今思えば手が込んでいるか、もしくは大げさだった。
ステーキとか、茶碗蒸しとか、、、、。
そのころによく作っていたもので、「鮭の南蛮漬け」がある。
ふと食べたくなった「鮭南蛮」をアーティスト友たちとのパーティに用意し、「夏野菜の冷やし煮鉢」と「鶏肉のレモンハーブ蒸し」を作ったところで、京都の直己はんがパーティに行くわーと連絡してきたので、あとは魔女に任せることにした。
魔女料理最高。
このために新幹線でふらりである。
人の料理は、どこか気持ちが重たかったりもする。
でも、直己はんに限っては重たさがまったくなくて、呑みながらふらりふらりと作ってくれる。

 週が開けてからは、ハーブをたっぷり入れた肉と豆腐の種を使って、野菜の肉詰めで日々を乗り切っている。




3.2
理解の範疇を超えた犯罪が起こるとき、「異常性愛」がクローズアップされることがある。調べると、多様な性の嗜好があるなぁとも思うし、これっぽっちか、とも思う。
もっと言うと、何に欲情するのか?は本当はグレーの移ろいのように「これ」と取り上げがたい個性そのものに思えるのに、「性のファンタジー」にまで落とし込まれた段階になると、「これっぽっち」のバリエーションになる。
人間は確かに心に闇を持っているし、その闇の多くは、その人の心の中にある「個性的な性の難しさ」と、生来的にも事後的にも、容易に繋がる。
でも、今回の事件はやっぱり、どこかそんな手に負えないようなものではなくて、うまく逃がすこともできた欲求のように見えてくる、だから重たい気持ちになるのかな。

6.2
パーティの翌日は、舞台関係の人たちとのごはん。
といってもその半分は、はじめましてで、不思議な会だった。
いろいろなトピックが出たけれど、 「プロとしての軸」は、キャリアの中で幾度か更新されていくんだろうなぁと、聞いていた。
プライドや拘りがあるのは当然のこととして、全員が一人で自分の看板を掲げて「共同作業」の現場に居るのが、舞台の仕事だ。
若い舞台美術家は、信頼云々は結果論でしか持ちだしてはいけないとおもう、と言って目が覚めるようにカッコよかったし、わたしの知人の"うまくできなかった仕事の話"には「更新する」ことの複雑さを考えさせてくれる。
仕事のなかには、どうしても避けては通れない辛いことが起こることがある。
全力をつくし、プライドをかけ、だからこそ、開かれるはずだった居場所が閉ざされることがある。
他人のそういった話からは、「あなたには必ず本来の実力を提示し直すチャンスが訪れますよ」ということが客観的に見えてくるけれど、当事者であれば、それ以来抱えている虚無のほうが目立って実感を与える。
けれども、最初から仕事に捕われている人間というのは、仕事によって回復する。
そして仕事は、人が人を許してビールに誘い合うような時間に支えられている。

7.
一冊、「移民する本」に関連して読みたい本があるのだけれど、一応学術書らしくって7000円もして、国会図書館にしかおいてなくて、
こういう時に、予算を自分で持っていないと厳しいなーとおもう。
でも、学術書というのもバカ売れしたりしない割に手間隙かかってるのだから、7000円は妥当なのだ。

わたしは学術書を読むことはあるけれど、それは回答では無い。
猛暑が数日は収まるようだ。
広島は大変なことになっている。
回答の無いことに、何度でも向き合わされるものですなーい、夏の宿題でもあるまいに。










2014/08/12

初期条件の作る緊張

0.
とにかく忙しく、作りおきの料理で日々を過ごした。
全部なくなった。
昨夜、どうにも手がまわらずにスーパーで買った寿司を食べたら、明け方に喘息。
数日続けて素麺を食べて発疹を出したばかりなので、気をつけねばのーとは思っていたのだけれど。
ある意味、見事なまでの反応っぷりに感心する。


6.
友人に会うと、なんでそんなにアートに拘りがあるのか?と聞いてくる。
生まれて来る時に持っていた初期条件のようなものでしかないんだろうけれど、確かに、作らないで生きるというのがよくわからないし、作ることのなかには怒りも悲しみも関係のない状況がある。
アートを通して考えることを、気がつくとやってる。
30年やめていても戻れるのが「世間的なアート」であり、いいところだとも思う。
でも、30年考えなかったことは30年後には存在しない。
30年の間の日常ではどんなことがあろうとも、アートを通して変わらずに考え続けたこと、そういうものがわたしにとってはアートなんだろうな、とおもう。
技術とは不思議なもので、15歳の時に描いたようなデッサンを、わたしにはもう描くことはできないだろう。描かないのだから技術は落ちる。
でも、どんな時にもやめなかったことを使ってならば、そのやめなかったことが、いつしかデッサンの役割も担い、最終的には元来のデッサンに別の技術を持ち込む。
そういうところは、生きていればこその実感であり、かけがえのないおもしろさだ。

4.2
ところで、もしも、昔の少女漫画のように「記憶喪失」になったらどうだろう?
いま、わたしが記憶喪失になったら、15年考えてきたことや、その考えてきたことに引っ付いたり、まとわりついたりしている訳の分からない妙な思考と、それらが支えている「私」はどうなってしまうのだろう?
おそらく、ほんとうに忘れちゃうだけなんだろうな。
どんなに強い拘りをもたらす初期条件であっても、消える。
犬の病的な拘りは、緊張状態の現れで、リラックスすることを覚えれば犬は変わる。(とカリスマが言ってた。)

漫画みたいにアートを通して記憶が戻るなんてことは無いような気がする。
脳科学ではどうなのかという問題ではなくて、
揺るんだ記憶は緩んだ記憶のままだろう。
いい悪いじゃなく、緩んだ時から別の時間が流れ始め、かつて拘りと愛を傾けた対象は別の様相を呈して見えてくる。

それに、死にはストーリーがないのだから。
ただ、消える。

だからこそ、おそらく人間は作る。
作る先から「保証」の消えて行く生を積み上げて緊張状態を保とうとする。
そのエネルギーの消費をわたしは制作で行うけれど、
子どもで、他人で、主張で、評価で、
使いきろうとする人もいる。

なにもいらないなぁ、と、やっぱり今日もおもう。
意地悪やいたずらに満ちたものに見つからず、静かにか死ねたら、それでいいなぁという想いの夏が一日一日重なっている。
いつか、どのような濁も怖がらない自分がもう一度現れることがあるならば、それは強くて頼もしいだろうけれど、その時には一体何を失っているのだろう?




2014/08/06

あたらしいの。

0.
砂肝のオイルコンフィとインゲンのおかか和えと、山椒むすびという常備菜セットを作った。暑くて、おむすびを握ってると、状況すべてにムカっとくるほど辛いのだけれど冷凍するならおむすびだな、と最近は決定している。
えー、今更だけれども。
食べにくいものは嫌いなのかも.....。
はるさめサラダを先日つくってみたら、どことなく食べにくい。
麺のくせにすすれないし、でも長いし。
その鬱陶しさにとってかわるだけの、うれしいところがない。
よって、おそらくもう作らない。

税務署に行くはずが、あまりにも暑いので引きこもって制作していた。
役所は、夏は、夕方から明け方にかけて開けばいいのに。
先日、そうやって完成したのを持ってEとの打ち合わせにいくと、計らずもフランスや韓国のダンサーたちとのご飯となった。
その短い出会いのなかにでさえ、動きや時間についての哲学を話すことができるし、死についての告白があるし、
わたしは、この袖触れ合うだけの接触はいつでもすきだ。

5.
そうやって、Eと某プロジェクトのすりあわせ。
英語でのやりとりが、なんとなく無駄をそいでくれる気がする。
「移民する本」もこれからだし、去年の秋から準備を重ねた二件がこうして躍動しはじめていて、それらを支えるための基盤造りも改めて動き始めた。

「移民する本」をやって、自分はアートに関しては徹底的に大丈夫なんだなぁ、とおもってる。
いろんな作品を作ってきて、ようやく自分は「どんなアプローチを取ることもできる」ことがわかったからだけれど、ここでの「できる」というのは、なにをやったって、アプローチの先に見たいものは病的なまでにはっきりとしている、という呆れでしかないにせよ。
どこを通ったって、どんなメディアを使ったって、見たいものが同じで、でも飽きないのは「見たいもののほう」が進化してるからだ。

ほんの一年前までは、作品ひとつひとつが持っている段階は、それぞれ異なるフェーズだった。
これまで常に悩ましかったのは、「深める」という感触が掴めなかったことだ。
ひとつやっては切断し、あたらしいひとつをやる、そんな感じだった。
作品を作るたびに、場所を変えて潜ることはできるけれど、それぞれは個別のそれぞれである、のように感じていた。
これは制作の現実的な問題に通じていて、音や映像を主体にして世界を見聞きしようとすれば、圧倒的に感覚優位のアプローチが出来ない者が作る意味はないとおもう。
けれど、コンセプチュアルな思考にとっての「深める」は、必ずしも感覚の脅威を発見することではないというか、結果的にはそれが無いと厳しいんだけれども、
感覚が無い場合にも世界は存在して作り替えられている、
ということの方により大きな責任を引き受けている、とおもう。
そこのところが、ずっと難しかった。
コラージュや絵画ならば、自分自身と拮抗して深めていくことができるけれど、そうではない行為をどうやって「深める」のか、、、。
それが、15年やってきてはじめて、前の10年とか前の5年とか前の3年に発見した段階を使って次に進む、というのを経験し始めているのかも、と、ふと夕方に思った。









2014/08/04

人間に心があることの強烈さと、犬の記憶

0.
18時には制作を切り上げて買い物に行くか事務仕事をするはずだったのに、気がついたら1時だ。
昨日からずっと作業だったので、腱鞘炎っぽくなっているし、目がかすんでいる。
なんで、ひとつのことしか出来ないんだろう?
同時に5件くらいやらないと、この夏が回らない。

今日は、買い物に行くのも嫌で、なすびのクミン味噌煮と、はるさめサラダと、干ししいたけのレンコン粉スープでのりきった。
それから、キュウリとカルダモンのフレーバーウォーターが、割といいです。

3.1
佐世保の事件のことを、どうしても考えてしまう。
殺された子とその家族のこと、どう想像することもできない。
殺した子のこと、その家族のことを思うと、人間に心があることの強烈さが、わたしの中にも浮かび上がる。
生や死をコントロールしたり、人間のこころの闇を他者から引き出して嘲笑したりする、そういった神様のまねごとをせずにはおられない人がいる。
あるいは、どの瞬間、どの人物にも、そういった「神になる」欲求はある。
ただ、そちらに倒れるかどうか、倒れさせないかどうか、
そこは、群れとしてのコミュニティに力を発揮する余地が僅かであっても存在する。

生きるのはむずかしいんだなぁと。
ただ、そこに生きているものがいるということが、そもそも強烈なんだ。

4
huluで、カリスマドッグトレーナーの番組を見た。
「カリスマドッグトレーナー」って、それだけでうさん臭いが、この人の顔や体のむちむちした感じが、犬っぽくてドキドキする。
「カリスマドッグトレーナー」は犬の記憶を操作する。
犬は過去を忘れることができる点で、人間より進化していると言っていた。











2014/08/01

1の続きと、「道徳や倫理は自分と他者を合理的に守る」について。

0.
今日は、朝も夜も鯵南蛮。
母が送ってきた自家製らっきょうの甘酢が残っていたので、それに漬け込んだ。
甘くて冷たくておいしかった。
おいしかったけど、昨夜、三枚におろして骨を取り除いて作った鯵南蛮がもう無くなった。
はるさめサラダも無くなった。
おとといの常備菜「ゴーヤチャンプルー」も無くなった。
むなし。

1.1
調理をしていると祖母と祖母の家を思い出す、の続きだけれども。
祖母は広島の市街地に住んでいた。
百メーター道路(平和大通り)や本通のすぐ近くの三川町に、小さな家があった。
一階の道路に面した土間は、私が小さいときは花屋に貸し出していて、おばあちゃんちに行くときは、花屋の中を通って家に入っていった記憶がある。
その奥にリビングらしきものと風呂と台所とトイレがあり、二階に上がると二間の和室と納戸のようなものがあった。
昔の造りなので、二階には二部屋しかないにも関わらず、つやつやした柱の大きな床の間っぽいスペースがあり、欄間があっただろうと思うし、膝丈くらいの窓からはすぐ下の路面が見下ろせる。
台所は、東京のわたしのアパートよりはマシだろうけれども、かなり狭かった。
でも、そこから見事な料理がいくつもいくつも出てくる。
晴れがましい料理も思い浮かぶけれど、一番記憶にあるのは益子焼きのココットで焼き上げる卵焼きとか、板酒粕に砂糖をいっぱいまぶしてトースターで焼くやつ。
これらは、ひとりで泊まりにいくと朝食に出てきた。
日曜の朝、和室に並べた布団の中から、おばあちゃんと一緒に「兼高かおるの世界の旅」を見る。窓からは日差しが差し込んでいて、見上げる鴨居だか欄間だか長押しだかには会ったことの無いおじいさんの遺影と能面があり、少し頭を傾けると木の形をした台の上の黒電話が見える。
おばあちゃんは明治の人なので「パンヅ」を履いていない。
朝起きると、兄と一緒におばあちゃんの寝間着を覗いては、「パンツ履いてないー!」と笑い転げる。
たっぷり遅くまでゴロゴロしたら、一階に起きて朝食になる。
自分の家での大皿料理と違って明治の人の食事は、どの料理も一人分が銘々によそわれている。
通りを出ると、昼過ぎには「よそ行き」の顔になる町が、まだ朝らしい空気をまとっている。百メーター道路の角に、ソフトクリームを売っている商店があって、いそいそと買いに行く。

わたしは、この朝の光景を、幾度も幾度も思い出す。
今でも歩いていて花屋の匂いに、あの暗い土間の入り口の光ほぐれる具合に包まれる。

3.
そうこうしていても、女子高生が友達を殺したのだという。
少し前に、ある不正への処罰に関して「決定は決定主の自由なのだ」という茂木さんの意見を目にしたときに、ひとりの学生が「どのように大学時代を過ごそうと(好きなことを優先させることこそは)自分の自由ではないか?大学とはそういうところではないか?」と真剣に問うのを聞いたときに覚えた「自由のイメージ」を思い出した。
それは、どこか一昔前の「アメリカは自由だ」という言葉に込められた日本の側からの「自由のイメージの時代」を彷彿とさせた。
わたしが子どものころに想像するでもなく想像した、バブルなというか、外国はアメリカとフランスだけ、みたいな時代の自由だ。
今の五十代くらいの人々の青春時代に抱いた自由のイメージは、もしかしたらその自由かもしれないなとフト思ったのだけれど、あれから時を経て、わたしたちは「例えたってアメリカの自由もそんなんじゃない」ことをいつの間にか知っているはずだ。

と、この話題と不正と殺人事件が繋がっているという話ではないのだけれど、すこし繋がっているような気がしていて、それは「道徳や倫理は自分と他者を合理的に守る」ために発達したんだろうな、という感覚に通じている。
道徳や倫理と自由はもちろん繋がっている。
必須条件というような繋がり方ではないにしたって。

「道徳や倫理を守るのは格好悪い」という感覚を十代の頃に抱いた経験がある人は少なくないのではないかとおもう。
なにしろ、ここには制服だの校則だの、いろいろありすぎる。
でも、道徳はかっこいい悪いでいうと、「強く他者と自分の関係を守る手段」として、
一度は身につけておくと得策というようなカッコヨク使うことができる仕組みなのかもしれないが、
もしも、親がそのことを感覚的に理解しておらずに、自己を優先させる自由しか知らなかったならば、抑えがたい欲求の方に世界が倒れてしまうためのハードルは下がっているのかもしれない、「自由の証」として。




2014/07/31

自分で考えたことを語る。

1
記憶を数日ほど失っていたような目覚めである。
体の不思議だ。
女性は、様々なホルモンによって周期的に身体がぼわっとしたりしなかったりするし、最近では低気圧の影響で、目が見えにくくなるとか頭痛が酷くなるとか、周りでもよく耳にする。
わたしは、そうやって何かの影響で知覚が重くなっていく時の移り変わりにはあまり自覚的にはなれなくて、あるとき、さーっと靄が晴れてやっと、あ、さっきまで(何日も)見えてなかったし、聞こえてなかったんだ、と気づく。

暑さ寒さの盛りには、台所に立つのが億劫になる。
7月の制作集中の「いい加減食」を切り替えようと、昨日から、またちゃんと料理するようになったのだが、外から疲れて帰ってドアを開けた家が熱気でもわっとしているなかでは、もう本当に心の底から台所なんて立ちたくないし、アイスだけ食べられたらそれでいいような状態になる。
うちは台所が狭いので、普段から何をどの順番で作るか?という手順が重要なのだけれど、それに加えて夏は食中毒に注意するために、肉や魚の処理を最後にしたいし、最後に出来なければ(そうしようと思ったら3時間は作業せねばなるまい)、しょっちゅう熱湯で器具を洗い流しながらあれこれを調理せねばならなくて、心底憂鬱になり、出来上がった時にはますます食欲なんか消え去っていて、ただぐったり疲れている、というのがこの二日のことだ。
なので、作っても食べず、翌日の朝か昼に食べている。

そのようにして、weckの本に載っていた「鶏のレモン蒸し」をアレンジして三瓶つくった。
レモンを6月に仕込んだ「塩レモン」に変えて、ワインはアレルギーなので日本酒にして、レモンバームやカルダモンやタイムやローズマリーなどのハーブを数種類と実山椒、レッドペッパーを散らして蒸した。
一瓶を食べてみたら、おいしかった。
とっても。
こういうのは、その時々のハーブの組み合わせだから二度と同じのは出来ない。
塩レモン、優秀だ。

わたしは、わたしの作る料理がすきだ。
でも、他人にもおいしいのかどうかというと、実際のところ、よくわからない。
ハーブやスパイスが効いたこの味を、実家の父や兄なんかは絶対に嫌いだ。
そう思うと、暑いわ寒いわのなかで一年中、文句言い放題の全員の好みに合わせて調理をする「家族の中の料理人」にはますます敬意を感じるしかなく、そういう想いにかられる時にはもちろん母のことを心にイメージするのだけれど、
でも、調理している時にはなぜか祖母の姿が浮かび上がる。

祖母は、年をとってから後の長い時間を一人で暮らした。

2
と、ここまで書いたところで友人から電話があり、いろいろおしゃべりしたら、
とりついていた疲れが吹き飛んだ。
不思議なことにB&Bでの一夜は評判が悪くなく、足を運んでくださった人々から感想をいただいている。
他のイベントとの違いは自分ではよくわからないのだけれど友人はさすがで、様々な視点で何が客席に起こっていたかを教えてくれた。

今回、拘ったことがある。

根拠の弱いこと、論理の通っていない考えを、語ることをする。
そして、曖昧ならば曖昧なところをスタートに語り、曖昧では無くなるところがあれば詰めて曖昧にしないで語る。
わたしは私が考えたことを語る。
いつも敢えて目指さなくてもそうしてきたつもりだし、誰の仕事もそうであるべきだと信じているが、今回は、わたしは、その他の何が成功しなくてもいいけれど「絶対そうする」。
その地点を毎晩毎晩目指して準備したら、稽古しないのに稽古のある作品並みに疲れた。

数年の間、データから作られる音や映像に向き合った。
システムとロジックが構築されて、半ば自動的に中身が生成される世界だ。
今回は、ある意味でのシステムは作るが、中身は自動生成されない。
古くからある「人間に大量にうごめいている、よくわからない中身」しかない。
そのよくわからない中身について語っていいのがアートである、ということだけを心に置いて語った。
これは、「美術とは何か?」という数年来の自分への問いに対するひとつの回答だった。
平凡だけれども、広がりのある回答だった。
そして翻って、自律システムと向き合うおもしろさを、自分の内的には確認した。












2014/06/22

移民する本 migrating books

7/5-7/13 移動と所属と経済を巡る指示書作品の実行。
7/13(日) 19:00- , レクチャーパフォーマンス 



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あたらしい作品、というのはあたらしい仕組みを作ることからはじまる。
わたしの場合はずっとそうだ。
ここ15年。
今回は、初回である東京バージョンに参加してくれる人々に多少なりとも負担が一番、かかる。
あらゆるフォーマットを作りながら進んでいるので。


わたしは、アートは答えのわからないことを抱え続けるために形にするのだ、と思っている。
形にして初めて生まれる理解がある。
理解があればあたらしい疑問がある。
だから、答えがわかりきっていることをやることはない。
そして、もしもアーティストが「変化する本」を作るといったら、それは本当に変化する余地をもたなければならないし、「私が他者に奪われ行く仕組み」といえば、本当にその仕組みを些細であっても作らなければならない。


いくつか地味ながらも、すきな試みが入っている。
それはおいおい時間をかけて、現れてくるものだ。
楽しみにしている。


2014/03/28

基準のわからぬこと。

先日、アイザック・イマニュエル @STに行くも、始まってすぐにひどい貧血が兆しはじめ、休憩中に薬をのんだんだけれど効かず、途中で退出するはめになった。
出たはいいけれども、外で横になれるわけでもなくて、どうにか電車の振動には耐えられたので都心まで戻って来れた。
こんなことはいくらなんでも初めてで、見れなかったことも含めてショックだった。
観劇は、湿度と体温の調整がむずかしい上に、じっと座っていないといけないのでプレッシャーが高い。
ちょっと良くなったからといって、まだ体調を過信してはいけないのだった。
ゆっくり、しっかり整えていかねばなりません。

今日は体調もよく、都内の展覧会をまわった。
工藤哲巳、泥とジェリー、filmachine、さわひらき。
最後のオペラシティの後で知人に遭遇して、おもわず一気に感想をしゃべってしまった。
『泥とジェリー』はオマケで見たのにとてもよかった、のは、私のなかに豊かな物差しがある作品群だったからかもしれない。
そして、10年前には「古かった」 だろう工藤哲巳の科学や思想を「表現する」作品が、情報をそのまま経験することができるメディアアートの時代を経て立ち返ることで、「表現する」の豊かさを見せてくれたこと、
「記憶の主観的な語り」をさわひらきさんで見て、「時間を経験すること」そのものがfilmachineにはあるので、このふたつを同日に見れたのは個人的に良かったこと、
そんなことを、短い時間に話した。

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物差しがあるというのは、ジャッジに迷いが無いということかな。
人にはそれぞれ、「一般的な基準」がよく分からない分野 があるのだと最近、よく考える。
苦手なことには靄がかかってしまって、嘘をついているわけでもないのに判断が一瞬遅れることで誤解を生んだりする。
わたしにもある。
耳を傾けて時間をかけて対応すべきことなのか、即座に引き上げるべきことなのか、イマイチわからない問題の出方があるし、
表現の質感やコンセプトや構造のことを「作り手」の視点として深く深く見て取れるのは平面、ハプニング、イベントの仕事でならすんなり わかる けれど、音や演劇になると、ひとりの「見る側」としての物差ししか持てないだろうし、
言葉が生むズレはいつだって深刻に襲いかかる。

反対に、深くまでジャッジを幾通りにも効かせられる分野もある。
お菓子は本を見てもつくれないけれど、料理は素材から「わかる」。
他人の抽象的な思考と世界を言葉で結びつけ直す、そのあらゆる段階での景色がひろびろと見えることはしばしばある。

物差しのうまく働かないことのほうが外で目立てば、生きにくさに泣かされることも、嫌というほど知っている。
けれど、13ヶ月もすれば40歳なのだ。
互いに基準のわからぬ物差しを使っておもしろく笑っていられる場が、「いい加減」 と「真剣」のよき案配のなかに生まれてくるだろうよ、そろそろ。

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もうすぐ制作のあれこれが加速し、人の展示を見に行く余裕はなくなる。
ほんとうに長いこと、演劇やライブに行くのがセイイッパイで、美術展まで足が伸ばせていなかった。
10年単位でのさまざまな経験が整理され、冷静さがあり、手と頭と言葉で作ることがただひたすら毎日の時間に戻ったこの春を、うれしく感じている。

3月は、復帰へむけて日記をこまめに記してみたけれど、また元のペースに戻る予定です。










2014/03/16

道徳ベッド

道徳で出来たベッドで眠りたいと思ってたころがあった。
道徳で出来た家のなかに、静かにある。
ひとりになることができる。
退屈でもいいから、醜い言葉や蔑みや嘘のない場所で、一瞬でも安心したかった。
ほんとうに、一瞬で、よかった。

嘘が起こる場所では、ニュースになることのない誰かが、
そんなふうに夜を過ごしているんじゃないだろうかと、ふっと、あの日々に夢想した道徳で出来たベッドを思い出す。
emblem は、あのベッドでもある。
泣かないで。

2014/03/05

Graphis入選


昨年の作品のポスターが、N.Y.で発行されているグラフィックの年鑑Graphisに入選したそうです。
わたしが制作したコラージュとタイトルを使って、グラフィックデザイナーの小熊千佳子さんがフライヤーとポスターにしてくださいました。
それを、「「ネンカン」に応募します」というのは聞いていたのだけれど、正直「年鑑」がいまいちイメージできず、何かに応募するらしい、とだけ理解しておりました。
世界中から応募のある歴史の古いコンペなのだとか。
とにもかくにも、おめでたい。

わたし自身は基本的に賞的なものには応募しないので、
こうやって手間をかけて作って応募して、結果をだしてくださるというのは、想像外のうれしさ。


2014/01/26

虚ろな[site]

年末に、Nさんにおすすめされた『地図と領土』がおもしろくて、アーティスト友達に勧めたらやっぱりおもしろかったらしくて、お。語ろうぜ、呑もうぜ、と原美術館へ。
つまり、原美術館:ボレマンス→写美:高谷史郎→GP:港千尋、と移動しながらつらつらつら『地図と領土』について話していた。

ボレマンスの色彩は、わたしの好みではない要素も持っている。
でも、全部を見終わったそのとき、「意識とは何か」というこの数年の問いにひとつの回答がもたらされたように思った。
MTM、アンドロイド演劇、音の海、、、これら各々を経験する中では点でしかなかった認識が、絵画を見ることで"繋がって"理解できたようにに感じられたことが、自分にとってはなんだか象徴的だった。
古い馴染みの眼鏡を通じてはじめて、現在に張り付いていた曖昧さが過去の歴史に組み込まれたような、そんな感覚なんだ。

[MTM]や音の海では身体の欠如が、
アンドロイドではぶれない存在の仕方が、
意識を迎え入れる"虚ろな[site] "の役割を担っていた。
そして、そこに入っていくのは、それら仕組み自体が生成する意識 だけではなく、
鑑賞者の意識を引き連れざるおえない。


加えて、同じ日に見た「デジタルデータを変換する作品」(展覧会のうちの数点)としての高谷史郎さんの試みもまた、わたしにとってひとつの区切りだったよう。
データの数が多いとか、変換のルートが多いだとか、ノードが多様だとか、
そういうことから「意識」がたちあがることは無いとは言わないけれども、
それ(=意識)に接した「私」が動揺するほどの肌理を持ち得るかというと、やっぱり相当むずかしい。
コンピューターとかインターネットから生まれる意識が「心の病」を生じ、
その病を介して「自他の境界」を拮抗する振る舞いを感じさせるに至れば、話は変わってくると思う。
もちろん、可能性を信じて目を凝らすところからしか開かない未来がある。
でも、わたしの仕事ではないよね、と冒険の果てに思ってる。
いまは、人間のほうが、おもしろい。
西洋の「人間讃歌」とは違う意味において。

人間は人間の成すことを嫌悪することができる。
アンドロイドに対峙した俳優は、目の前のアンドロイドと、闇の中の私という二つの基準を見つめながら、異なる「私(役)」を表出させていく。
その複数の私を通過する手順は、病の誕生に関与している。
たぶん。

そんなことをぼんやり、としかまだ考えられないのだけれど、メモのために残しておこう。
もうすこし整理して言葉にしてみたいな。
でも、いったい、ほんとに、こんなこと考えたからってねぇ......
 










2014/01/09

「かぐや姫の物語」

テキストと格闘し疲れて、ふと水曜だと思い出し、おもいきって休憩を取ることにした。
水曜は女性割引をしている映画館が多い。
年末に、絵画科の先生が絶賛していた「かぐや姫の物語」を見ることにした。
映画館につくと、両脇を母娘の二人組に囲まれて座るはめになった。
左手の母親はポップコーンをすごい勢いでむさぼるように食べて娘に呆れられ、
右手の母親は芸能人を「さんづけ」で呼んできゃっきゃと娘に語りかけるという、
なんだか両極端なふたりだった。

絵がよかった。
風景画を描いているときの独特のよろこびや、子供の頃に虫とりやおままごとをして遊ぶ傍にある植物のみずみずしい親しさが、スクリーンから溢れてくる。
かとおもえば、異界に接する際の描写の素朴さは寒々しい。
生と死の際に立つさびしさが、ひらひらと翻る一枚の布の裏側をみせるように、随所でハッと、一瞬現れるのだ。
物語の最後、姫は地球の記憶を失って清らかな月へと帰っていく。
それと対局に、姫を育てた老夫婦は、これまでの思い出と共に地上に遺されてしまう。
どうしたって、死んでいく娘と、それを見届けなければならない親のくるしさをみるようだった。

忘れられない記憶の塊を持て余し、
その塊にどうつきあっていくのか?という問いに答えを出せないまま、
日常を繰り返すようになって久しい。 
だからか、姫が記憶を失うことに、うらやましさに似た感覚を覚えた。
けれど同時に、この俗物的な記憶の塊を、
いつかわたしも奪われる日がくるのだということを姫の顔の稜線に発見すると、
果てしなくさびしくてさびしくてうろたえてしまう。
それが死なのだとわかっている。






2013/10/18

名もなき人たちのテーブル

オンダーチェの「名もなき人たちのテーブル」を読んだ。
電車の中や、眠る前のひとときに。
最初は、美しいけれどよくある「海と少年」の話のようだったのに、ある局面から物語は物語を超えて「まるで私のこと」を語り始めた。
様々な記憶の断片が加えられるうちに、誰かの肉体によってはじめて許される心の解放の一瞬や、それがすぐさま過ぎ去ることや、心を奪うものと奪われるものの関係、権威があることで浮かび上がる名もなき人たちの多様さ、諦めるしかない別れ、どのような金や権威や色香を使っても手に入ることのない芸術との一体の喜び......
これらの断片の間から溢れて襲ってくるのは、支配と自由の繰り言のようだった。

読了したのは夜明けで、眠らなければならないのに眠ることも叶わずに、そのまま仕事にむかった。
ふと、道を変えて歩いてみたら、窓の向こうに人が見えた。
硝子の向こうに見えた光景もまた歩調のままにすぎていって、
現実の出来事とはいったいどのような感触がするのか、
もはやわからなくなっているのだと、そんな遠さを感じる朝だった。

2013/09/24

「グッド・タイミング」稽古

急に寒くなったからか、久しぶりにカメラを2台と三脚を抱えて移動したからか、すっかり疲労で倒れ込むように眠った。
体力が落ちている。
カメラを2台を抱えての移動の理由は、青年団の松田弘子さんをゲストに迎えて、細馬さんとやる「グッド・タイミング」こと解析ショウ(WWFes 2013)のための取材と稽古らしきもの。
何年ぶりかに「インタビュー・ショウ」の簡易版を用意しています。

アンドロイド演劇「三人姉妹」にも出演している松田さんのお話、ぜひ聞きにきてほしいのです。
人間、アンドロイド、そして「心のやわらかい部分」の話をしています。
これまでも、ロボットが人間の感情を開く事例について興味深く聞くことはありましたが、今回、「役」と「私」の境界線まで巻き込んでこの話を聞けているのがすばらしく、

私が持っているテーマとがっつりはまってきているのかもしれない。

稽古をしていてふっと取り戻す感覚も、おもしろきもの。
インタビュイーと離れて立つと、自分の考えがほんの少し先立って、対話の流れに手を打つような「メタな視点」がでてくる気配がすることを稽古で思い出しかけたり。
とはいえ、あくまでも「解析ショウ」なので、インタビューを作品としてやるということではないのですが、考えたいことが出てくるというのは贅沢な証で、逃さないようにせねば。

トライアルの大きかったこの5年の自律システムとの活動を経て、もう一度、かつてやっていたインタビューに向き合えているのって、ギフトのようなものかな、と。
過去を吐き尽くすように切り離して、ひとりで前に進むしかなくなるとき、くるしい。
くるしくてくるしくて、たまらない。
それでも作っていると、どんどんココロザシも仲間も開いていき、いつしかかつて居た場所の親密さが遠く後ろに消えている。
残るのは、培った思考や技術だけ。




2013/08/25

テクノロジーの寿命

プランニングしていくとき、ぶちあたる壁はテクノロジーの寿命だ。
300年後も同じように稼働する(或はその意義がある)ものをつくろうとすると、センサーがどうのとか言ってるのが、そもそも間違っていて頭おかしいんじゃないかとおもうようになる。

法隆寺の夢殿とかピラミッドとか、終わりを考えて作ったとは思えない。
終わりを想像もしないときに出てくる強さみたいなものが、メディアアートには無い。
ただ、だからこそ新しい素材を作るという気概が誕生するとも言える。




2013/08/19

なめ敵とスティグレール

深夜に気持ち悪くて眠れなくなるパターンが続いている。
だからというわけでもないけれど、朦朧とした意識を読書でつらつらとつなぎながら、寝たり起きたりを繰り返す。

「なめ敵」を読むにあたって、もういっこ補助するような哲学書を読みながらのほうが、なんだか私にとってバランスが良さそうだなとおもって、平行してスティグレールを読んでた。

平行読みが功を奏したのは、インターネットという意識を作り出す技術についての捉え方が、まったく異なることによる。双方ともに当然ながら、経済、資本主義、投資、という社会構造と意識の話につながっていくのも、脳がやわやわしてくれて、よかった。
一方は、インターネットを介して世界がよくなる(なめらかになる)ように、一方は、インターネット(だけではないけれど) によっておこるシンクロニシティがもたらす意識の荒廃を直視していく。
もちろん、どちらも、いい面、悪い面だけに焦点をあてているわけではない。

共におもしろかったのは、「一手を打つ」ことについて、考えている人たちの仕事だということだ。なめ敵はもちろんだけれど、スティグレールも、歴任してきたポジションでの試みが伺える。
私が哲学が苦手なのは、テクストの中に戦いも未来も回収されてしまうようなところで、 (それは、彼らの「発表の仕方」=テキストをえんえんと読み上げる慣習にも見て取れるのだけれど)どこか、桃源郷の問であり、桃源郷の回答であるように感じられるところだろう。アートでも、そういうものはいくらでもあって、私がテキストで完成しているものは作品にしなくていいとこだわってしまう理由もそこにある。式の解を読み上げてパフォーマンスとされるものを見るくらいなら、テキスト読んだ方がいい。

あたらしい技術であるインターネットは、あたらしい意識を作るのか、あるいは意識を荒廃させた挙げ句に、あたらしい意識を作るのか、ちょっとわからない。日々の実感としては、シンクロニシティが荒廃させていく意識というほうがわかりやすく近しい感覚だけれど、走り出した記憶の技術を止めることはできない以上、「一手」を打つ必要は後から後から深刻にわいてでてくるのでしょうから、「なめ敵」のような平和だがアグレッシブな戦い方は勇気がでる。
と、素人が何いうぞ、、ですが、、、
ただ、事実を眺めて現象を捉えようとするだけではなく、 あたらしい技術のあたらしい使い方を開発していくことで、世界、意識、進化の先を変えようとしていく姿勢に、心が踊るんだろう。



2013/08/10

川口隆夫さんの「大野一雄について」

外に出たら本当に暑かった。
さわやかさのない。

夜、日暮里へ。
川口隆夫さんの「大野一雄について」

高校時代にテレビで大野一雄というひとを見て、夢中になった。
広島でも手に入る本を買って読みこんでは、東京にいって本物を見るのを楽しみにしていた。
その数年後、ようやっと両国のシアターカイで初めて本物の大野さんを見た。
握手をしてもらったら、掌がやわらかかった。

引き継ぐということを思っていた。
川口さんを見ながら。
この前、私は過去の二つの映画を引用しながら作品を作ったのだけれど、なぜ、そんなことをしたのかというと、ひとつには「過去になされた表現が現在の表現者の世界観を作っていること」についてずっと考えていたからだった、音の海を作る過程で。

私はおそらく子供を持たないで人生を終えるのだろうとおもう。
血とか肉とかをひきちぎるようにして命を宿す肉体ができあがって生まれてくる、その繰り返しが、私のところで途絶えようとしている。

なにか、誰かが投げてくれたものを受け止めてみたいという、漠然とした興味のようなものが、いまの私にはあるのかもしれない。

川口さんが「お母さん」のダンスをするとき、はじめて大野さんの「お母さん」がわかったように感じた。大野さんでは無いから、引き継がれるなかで落ちていったもの、誤謬、不要に加えられたものがきっとあるのだろう、
でも、研究しようと見つめて見つめて作られた動きのなかに、大野さんの「動機」が読み取られて見えてくるような、そんなハッとした現れがあった。
川口さんの手はあんなふうには柔かくないかもしれないけれど、でも、あの掌のふくいくとしたやわらかさ。

私は翻訳小説がすきだ。
異なる眼差して読み替えることで、生まれるものがすきだ。


アスベストに通ったころに、ほんの数回、大野慶人さんが講師のときがあった。
みんなが「慶人さん」と呼んでいた。
きょう、アフタートークで「慶人さん」が、複雑な大野一雄さんや川口さんに、独特な文法で光を当て直していくのが、なんともいえずしあわせな時間だった。
花がカーテンコールで宙に舞った。
もともとそれは花束だった、ふつうの、花束を突然、慶人さんが急いでばらし始めて、そして川口さんにむけて高く投げ入れられた。
わかりやすい赤いバラが落ちていく、その下に立つダンサー。
ここにも、読み替えて、今にうまれる場があった。


川口さんのタンゴ、いついつまでも見ていたい。
実は、あんなに憧れた大野さんの舞台は、すこし居眠りしながら見たのだった。
きょう、川口さんのタンゴ、いついつまでも見ていたくて、でも、そこには大野さんはいたりいなかったりする。
引き継がれる命ということを、考えながらずっとみていたいとおもってた。





2013/07/27

成立しない問い

なんで、めげないの?と、何年も鬱で苦しんでいる古い友人から問われた。
死ぬ方法ばかりを考えずに目の前のことを丁寧にやってみて、という言葉が、重たい堂々巡りの中に居る人には残酷なものだろうというのも、知っている。


やりたいことがわからないという悩みを、いろんな人の口から聞いてきた気がする。
私には、その悩みに対する答えがない。
例えば散々ひとびとに「やりたいこと」の結果を酷評されたって、所詮は他人の言葉だし、私の人生に口だされる覚えは無い、程度のことだろうに、アートなんて。という側面がある。
原爆落とすのとは訳が違う。
「地獄」が人生のなかに刻印されているわけではない。
それでも、迷惑をかけている人、応援の手をいつも貸してくれる人へどんなふうに誠意を返せるのかを考える時間は、ともすれば相手からの返答に執着しかねない程度には持っている。
考えこんでしまう理由は、理想的なかっこいい答えが見えていても、それを現実化できないからだろう。
しょうがないから、ひとつひとつ、メールしたり電話したり、具体的に行動して、それでも返答がないような場合には、諦めましょうと区切っていく。

「人を大切にする」を諦めない場合もあるだろうし、同じところから生じている、他人に認めてもらおう願望を手放すことが優先される場合もある。
時に応じて選んでいく。

私には安定した健康がない。
激痛に倒れているとき、情けなくてなんで自分はこんな思いをしなくちゃいけないんだろう?お願いだからこの痛いのを消してください、と何度も何度も祈ったり呪ったりする。
でも、誰かに、なぜあなたは健康でいられるの?とは問わない。
子供のころに、学校で初めて「斜視」をからかわれて帰った日に、母親に「なんでふつうの目じゃないの?」と質問したら、母が、人はそれぞれ目に見える見えないに関わらず異なる問題を持っているのだ、というようなことを言った。
母は、生まれつき心臓が悪い。
耳も片方聞こえない。
そういう人が言った言葉だから納得できたのかもしれないけれど、その説明で、そっか。とだけ思ったのをよく覚えている。


やりたいことが途絶えない人生もあるし、どうしても見つからずに苦しむ人生もあるんだろうとおもう。
こういったら、また苦しむのかもしれないけれど、「比較してもしょうがないこと」。
健康な人生もあれば、最初から寝たきりの人生だってある。
そのことについて、誰に何を問うても、回答はない。
その質問はもともと成立しない問いなのだ、と切り替えた方がいい。


難題が降りかかるときでも、明るくポジティブに考えを進められる人もいて、そういう人は世界の財産だとおもう。
私の恨みや愚痴を電話やチャットの向こうで聞いてくれる数人の友人たちは、「ちょーぜつすばらしい財産」。
ちょーぜつ。
でも、ここのところ、甘えすぎたよな、と。

つくづく思う。
今、こうしている間にも、誰かは「死にたい」し、
今、こうしている間にも、誰かは「しあわせ」。
旅に出ているもの、おならをぷぅとやっているもの、秘密を抱えているもの、アイスクリームを嘗めているもの、責任を問われているもの、誰かの膝の上でくつろいでいるもの、、、
犬も猫も人間もそんなふう。
そんなふうな日常のなかで、あなたの「死にたい」が少しでも薄らいでいきますように。














2013/07/25

循環プール



毎年、授業で、「荒川修作+マドリン・ギンズ、ジョン・ケージ、ジェームズタレル」を例にあげて、「外側の世界がつくる私」について話すのだけれど、
このテーマには、私の個人的な生死へのオブセッションが入っていて、あたらしい作品に入る前には、必ずこの眼差しに戻ってくる。

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・ 「私の時間」を、外側が生む行為として捉えること。
・ 何度でも「人工」が生まれてしまう空間、関係、作用の秘密を見ること。
・ 「作り替えられた秩序」を体得し続けること。

これらが、主に私が実行しようとすることの抽象的な説明なのだけれど(具体的な方法は毎回異なる)、こうして書き出してみると「パフォーマンス」にふさわしい言葉に見える。
なのに、実際には「パフォーマンス」で実行することが一番にむずかしかった。

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「外側の世界がつくる私」には生命の循環の仕組みが働いている。
なぜ、命は循環するんだろう?
せつない。どんな説明の前にも、納得できる実感がない。

おおきなほうの命の時間を、生きることができるなら生きたい。
漫然と死を思いながらではなく、心を短い記憶に縛られながらではなく、徹底的に自由な命としての「長い段階」を導きだしたい、この謎の循環プールのなかで。

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7年前に、予期できないインタビューをショウにするところから、私のパフォーマンス制作は道を開いていった。(実際にはもう少し古い作品でも、ダンス、朗読、落語的なアプローチを試している。)
私にとって重要だったのは、「予期できなさ(インタビュー) と コントロール(ショウ)」 という相反する運動を同時に扱う時に、命が走る時間の感触 を掴んだということだった。
やがて、コントロールがあるからこそ「予期できなさ」を抱え込もうとする「俳優やダンサーという存在の仕方」に興味がわいてきた。


2011年からは、「流動的な環境が形づくられるプロセス」を、人工生命と人間という、質の異なる自律性の相互作用がもたらす「進化」から理解しようとしている。
ここでの環境とは、生物や物質に流れている意識、つまり心とも言える。
私は、この観点をひとりで培ってきたわけではなくて、人との出会いを経て、こんな言葉を選ぶようになったのだけれど、
でも、なんにせよ、
私のおおもとにあるのは「命が走る時間」を生起させるという強迫観念だけだろう、とおもってる。

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「音の海」は、シンプルな仕組みから成る人工生命だ。
パフォーマンスでは、音の海の挙動を見せるというよりは、中に入った人間の挙動にどう影響を与えるのか?を中心に、様々に自律性を抑えたり解放したりと調整を繰り返した。
そのデータを得たことで、次では、自律性の解放に幅が出せるようになったとおもう。
スタート時のチームがもっていた構想「建築」をつくるように「音の海」をつくる、を次回やろうとしている。


2013/07/19

過去との距離


どうにも体調が戻らず。
仕事しては横になり、横になっては仕事してを繰り返している。
そうはいったって、この体で人生半分きたなーと思うようにもなった。
残り半分は、ビールでしのぐんだ。(だから駄目なのか)
子供のころはビールなんかなかったし、体育もやらなきゃいけなかったし、大人って最高だ。このあいだ、レモネードのビールカクテルを飲んだら、おいしかった。

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「(憎しみを)貫けるとおもった。」
貫けなくなった時、会えなくなった人がいよいよ遠のいていくことに気づく。
「二十四時間の情事」のこの台詞には、戦争や過去との距離の変遷が現れている。
憎しみを介して何度でも触れることができた過去が、薄らいでいく。
そのとき、心は、本来の「自由の広がり」を取り戻しはじめている。
記憶の縛りを受けていない広がりが、取り戻されるのだ。
さびしさと引き換えにするように、再び戦う勇気が現れる。

忘れることをメディアから許可されなくなる時代に、人間は自由をどうやって広げていくんだろう?
これって、文字ができたときからの普遍的な問いなのかもしれないけれど。

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記憶を縛るものを繰り返し受け止める必要は、あるのかな?
ずっと、答えはでないままだ。