2016/06/01
最後にオバマがやってきて...
5月は、次から次へと人に会っていた。
数年前までは、しょっちゅうミーティングをしては自分のプロジェクトを動かしていたはずなのに、今やたまにこうして「人と会うのが多い」日々があるだけで、けっこう体にくる。
からだがついていかなくなると、顔がむくむのも最近の変化というか、鍼灸の先生に言ったらきっと「あ、老化ですね」と即答されるのだろう。
先生は、「鍼灸は老化を遅くすることがコンセプトですから!」とすてきなことも言うが、"コンセプトということは..."と考え始める自分が残念ですね。
月初めにザグレブ出身、ベルリン在住のアートライターに会った。初対面だった。
次から次へとお互いの関心が繋がって語り合えるという稀有な経験をした夜だった。
お決まりの「どこの出身?」という質問に、「知らないかもしれないけど広島」と言うわたしに、「だれでも知ってるよ、ヒロシマは」「いやいや、世界には直近の問題がいくつもあるからね」「フクシマ?」「あなたの国だって複雑でしょう?」... と言う流れで、広島で私が受けた平和教育の話になった。
わたしが通っていたのは私立の学校だったから、わりと自由に教育プログラムを作ることができた(まだそういう時代だった:と言わねばならないのだろうと想像するけれど)のだと思う。社会科の先生の中には、在日韓国人の先生もいて、そういうことも影響していたのか、どの先生に教わったか記憶は定かではないものの「日本がアジアでおこなってきたこと」も教育された。虐殺や人体実験や差別の類である。
その一方で、毎年、被爆者の生々しい経験を聞くという授業が必ずあり、映画や本をみなければならず、時には取材してレポートを作るようなこともあった。
そして、この平和教育に一貫して流れているのが「原爆はアメリカ固有の罪ではない。戦争は人間の罪であり、どの国であっても起こりえたこと」という視点である。
わたしもこれに異論はない。
むしろ、そう語ることで、奇妙なことだけれど、加害者でもあり被害者でもある歴史に引き裂かれることから救われてきた一面があり、そしてだから、今ムカついている。
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多くの人と会った今月、その交流を通して、しばしば「自分の置かれたコンテクスト」について考えた。
過去の作品のプレゼン的なものがいくつかあり、学生の前で「社会の中で制作すること」を語る機会を与えてもらい、遠い国に離れた古い友人との再会があり、そして海外からのゲストがいくつかあった。
わたしが数年前まではっきりと目指していたのは、「コンテンポラリーアートのコンテクストを離れて、自分のコンテクストを作り上げる」ということだった。
なのだが、この理想追求はまったくもって、簡単じゃなかった。
(いまこそ、わたしはアラカワさんと話がしたいよ!なぜアラカワさんにはそれが可能になったんだろう?)
そもそも、コンテクストの生まれない場所で人は生きられるだろうか?
海外からの友人と話すとき、様々な都市のローカルなアートシーンの話をきかせてもらう。いわゆるビエンナーレなどに代表されるグローバルなアートではなく、その都市に許容されやすいアートの傾向について聞かせてもらう。
そんな酔っ払いおしゃべりの果てに、近頃友人たちとたどり着くのは、どのような形式の活動であれ、10年はその都市に居て、そこで発生しているコミュニティや文脈に足を支えられて、やっと考えを深めていけるという面はあった気がする、というものだ。
そして、やはりそのコミュニティで受け止められるアートの形式は、そこに居る自分と切っても切り離しがたい。
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そして、もやっとする。
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なぜ、わたしがこうまでも「文脈依存」に抵抗するのか?には理由がある。
戦争は人間の罪だと教えられる一方で、個人の罪だとは誰も言わなかった。
それは、あまりにもおそろしい事実だからだろうか。
子供心に、人類の罪なのは理解できたが、「でも・・・」と不思議だった。
実際に「原爆を落とす」を決めて実行する段階に居合わせた誰も、「これはあまりにもひどい。やめよう」とは、少なくとも死ぬ気で行動はしなかった。
実際に原爆が落とされるまでの経緯は複雑ではあるが、後世に生きるわたしから見れば、それが落とされるに値する絶対的な理由は決して多くはなくて、人体実験の側面が一番強いのだろうとおもう。
アメリカは戦後、広島の比治山にABCCを設置したが、そこで得られた治験が被爆者に還元されることは無く、後の放射能影響のための尺度を作っただけである。
なぜ、後のための尺度が必要か?
アメリカが見ていたのは当時の「目の前にいる被爆者」ではない。
未来に彼らが行うことだ。
第二次世界大戦について学ぶにつれ、わたしの関心は "大きな意図のなかで個人は決してひとりの意思を保てない"、に傾けられていった。
ヒットラーにせよ、日本軍にせよ、そしてアメリカが言うように世界平和のために原爆を落とした誰かにせよ。
もちろん、それは戦争に限った話ではない。
日常において、人は「誰か」を支配するために創意工夫をこらして個人の判断力を失わせ、そのためになのか、そのせいでなのか、より大きなコミュニティ/社会を操作する。
私はなにに絡め取られ、所属しているのだろう?
どうして、そのコンテクストから離れることができないのだろう?
あたらしい自由は、コンテクストからの自律ではないのか?
それが、多様な作品を作るなかでも変わらずに目指されている、わたし自身への問いだ。
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いつもより多めのゲストの「最後」にオバマ大統領がヒロシマに来た。
彼が謝罪しないことに対して、どうという想いも抱いていなかったのに、すこし違和感を感じ始めたのが来日前に報じられた塩野七生さんの"日本が謝罪を求めないのは大変に良い"という内容のインタビューだった。曰く、悪がしこい相手の上をいく逆転の発想なのだと。
そうかもしれない。
けれど、その逆転の発想を、ヒロシマの人たちはもう十分にやってきたのではないか。
被爆者が長年とってきた抗議はデモではなく、座り込みというとても静かな態度だ。
おそらく、その静寂の影には、被爆者として生きるなかで受けてきた差別に由来する部分もあるのではないか、と想像してみる。
今回、被爆者の方々のなかには、"謝罪を求めれば、核兵器廃絶が遠のく"ことを懸念して、謝罪を求めない方向に舵を切ったという話も報道されていた。
いつまで、彼らは人類のためを思って、相手の上をいく交渉をし続けなければならないのだろう?
塩野さんの言うように相手は悪がしこいが、正直なところ謝罪を求めても求めなくても、大差ない気がする。
なにしろ、国としての日本はどうあったって動かない。
(日本政府は、唯一の被爆国でありながら核廃絶の合法化に対して消極的である)
そして、それこそアメリカ大統領は個人ではないのだから、そうそう感情的に動かされたりしない。
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オバマ大統領は来ないよりは来たほうがいい。
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ザグレブのアートライターに平和教育やアジア侵略の話をしていくなかで、アメリカの誰からも謝罪が欲しいと思ったことはないとわたしが言うと、不思議そうな顔をしていた。
そこで、ふっと、もやもやしていた想いを口にしてみた。
「でも、それはわたしがそのように教育されたからかもしれない。なにが、国家の意図であり、なにが隠され、教育されたことなのかはわからないものね」
そう語りあったのは、塩野さんのインタビューが出る数週間前の話であり、実際にオバマが来ることが確定したよりも前のことだった。
被爆3世ではあるが、それでも当事者ではないわたしは、ある意味ではオバマと大差はない。
彼もわたしも、誰かの経験を歴史の一部として学び、だがしかし、それを知らないとは言えない立場にある。
そのような立場のもとで、ヒロシマでスピーチする人は市長であれ市民であれ、そして大統領であれ、まるで悪が空から降ってきたかのように、その日のことを語るしかない。
けれども、なぜあのスピーチを賞賛する必要があるだろう?
広島=戦争で荒らされた土地には普通の生活も息づくが、それを加害者が声をあげて寿いでどうするよ。
「謝罪しない」は、政治的に受け取るしかないものではあるが、被害者が讃えるようなことではない、黙してでも抗議するところだ。
その抗議は、実際に被害にあった人と、後を生きる、加害者にもなり被害者にもなる人々のためにする抗議だから。
「被爆者の経験談」、こうして文字にしても多くの人はうまく想像できないだろう。
それは、生きている人が一瞬にして肌を垂れ下がらかして咆哮し、やがて差別にさらされる話であり、
痛ましく特異的なのは「人体実験」だったという点であり、たかだが70年前の「同時代」の話なのだ。
まだ歴史になる途上に「今」は関わっている。常に。
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2016/05/26
[学校が編んでいる(仮)|公開制作とワークショップ]
7/16-18 @blanClass
「正規のメンバーではない私」がここで生き残ろうとしている。その時に編み上げられる心の構造を見る。ワークショップでは、インタビュー・ショウの手法を通して、語りが物語に固められる過程の言葉から逃げたり構築したりする予定。
ゲスト:松田弘子(俳優)
日程:2016年7月16日(土)ー18日(月・祝)
16日(土)18:30-20:30 ワークショップ1[ルートから逃げながら道を作る]
17日(日)18:30-20:30 ワークショップ2[過去が要請する手順と戦う]
ワークショップ:1回 1,500円/2回 2,500円(要予約)
日程:2016年7月16日(土)ー18日(月・祝)
16日(土)18:30-20:30 ワークショップ1[ルートから逃げながら道を作る]
17日(日)18:30-20:30 ワークショップ2[過去が要請する手順と戦う]
ワークショップ:1回 1,500円/2回 2,500円(要予約)
18日(月・祝)13:00〜 公開制作(入退場可)18:00-20:00頃 公開通し稽古+フィードバックパーティー
公開制作:日中の見学のみ 500円/公開通し稽古+フィードバック1,800円(ワンドリンク+α)
公開制作:日中の見学のみ 500円/公開通し稽古+フィードバック1,800円(ワンドリンク+α)
予約方法
以下の内容をイベント前日までにメールにて送信してください。こちらからの返信を
持って予約完了とさせていただきます。当日の場合でも準備がありますのでご予約
をお願いします。なお定員に達した場合などお断りすることもございますので、あら
かじめご了承ください。
以下の内容をイベント前日までにメールにて送信してください。こちらからの返信を
持って予約完了とさせていただきます。当日の場合でも準備がありますのでご予約
をお願いします。なお定員に達した場合などお断りすることもございますので、あら
かじめご了承ください。
2016/05/08
遠くへ公開する
なるべく、縁の遠いものを助けるようでありたい
そう、おもわず口にしたのは今年の4月中旬のことだった。
向かいには劇作家というのか脚本家というのか、ひとりの人が座っていて、わたしたちは東京都現代美術館の『キセイノセイキ』を見た帰りだった。誰か美術畑では無い人といってみようと思い立ち、ちょこちょこ顔を合わせたりはするもののゆっくりお話する機会のなかった人をお誘いした。
一年くらい前のある集まりだ。
わたしたちは有名な海外のダンス記録を映像で見て感想を言う場に居合わせた。
彼女はその有名なダンサーの動きを、「江頭みたいだと思った」的に言い表してしいて、うふふふと笑っていて、あんまりにもうれしそうで、わたしは爆笑してしまった、その前から作品は見ていてすきだった、でも、この江頭発言がハンコを押すようにしてわたしは彼女と話してみたいなと思ったんだとおもう。わたしは江頭をよくしらないのに、でも記憶のどこかにあるぐにゃぐにゃした動きは瞬時にYoutubeで今見ている超有名なコンテンポラリーダンスと結びついて、爆発的に笑っちゃった。
--
1.
自分から誘ったくせに、わたしは『キセイノセイキ』のことをほとんど理解していなかった。(本当に悪い癖だとは思うものの、前情報をチェックすることをあまりしない上に、文字から入った情報を勘違いすることが多くて、告白すると「キセキノセイキ」だと思っていた。)
そんなだったから、行ってみたら想像していた以上にハードな内容に慌てつつも充実していておもしろく観入り、同時にふと政治色の濃い展示に誘ってよかったのかな?と気になって聞いてみると、一緒に行った人はおもしろがってくれていた。
ただ、ところどころなんだか薄ぼんやりとした作品があった。
その理由を知ったのは、展示を見て日が過ぎてからのことで、途端にTLやMLに『キセイノセイキ』が美術館からの規制にあっているという、わたしなんかは油断すると仕込んだネタなんだろうとスルーしてしまいかねない事実が断片的に、だが、堰をきったように流れてくるようになった。本当はもっと前から流れていたのに、気づかなかっただけなのかもしれない。
事情はわかりにくい。
というのも、ネット上に流れてくる口調からすると、この問題は、どうやらすでにどこかでは共有されていたような節が感じられるのに、ほんの少し外れたところにいる人間には、「ところどころなんだか薄ぼんやりとした作品があった。」という地点から出る契機となり得るだけの情報が「一発」ではやってこなかったからかもしれない。
そして、おそらく「一発ではやってこなかった」裏にこそ「事情」があるのだろう。
そして、「一発ではやってこなかった」が、わたしは少なくとも『スタジオ設立30周年記念 ピクサー展』を見たついでに、たまたま『キセイノセイキ』を見ることになった来場者よりは、情報を得ている。
この、現場の鑑賞者に情報が隠されている状況が、どこまで誰によって意図された結果なのかはわからないものの、一連の出来事のなかでも、わたしはとりわけゾワっとする。
隠す側があり、隠された側がある、いずれの視点からも「身内の外にいる鑑賞者」の存在が見えずらいのはなぜなんだろう?
「現代美術」は文脈依存が強いが故に、外部の人にはわかりにくいと言われる。
それが悪いことばかりだとはわたしは思わないのだけれど、同時に「外と共にある」こともまた、同じように「現代美術」と呼ばれるジャンルが意識的に内外へと提示し続けてきた問いだ。
それでもなお、「身内」の外につながることには、こうして言葉で述べる以上の複雑な手続きが必要なんだろうことが今回の件を通して見えてくる気がする。
現在において、わたしが『ピクサー展』の来場者よりも「事情」を把握できているのは、関係者をSNSでフォローしていることと、この春からアーティスツ・ギルド(AG)のメンバーになったために、AGのMLが流れてくるという理由以外には無い。
メンバーになったけれど、オープニングに行かなかったから事情を知るのが遅れた、とも言える。
アーティスツ・ギルドは、『キセイノセイキ』の企画組織である。
--
AGのメンバーになったのは、ひとことで言えば「ご縁」です。
正直なところ、組織的な繋がりに「所属する」ことに対しては、わずかに逡巡した。
別に、何かに所属することをNGとするほどの主張があるわけではないのだけれど、どうにもなんとなく不安になる、という性癖を持っているらしい。
それでも、「ご縁」に与えられた繋がりを覗いてみようと決めたのには、30代後半になって、「アーティストにとってのセーフティーネットとは何か?」という問いと、社会的な後ろ盾を持たずに自由でいることの一面に含まれている「危険」の深刻さに直面した時期があったからだ。
わたしは、AGが政治的な思想や態度を同一にするものではないことを確認し、この繋がりに加えられることになった。
機材共有を掲げたAGが「セーフティネット」だとは決して言わないが、
「アーティストの連帯」が何を指すのか、どういった理由でそれへの言及が世界的に広がっているのか?私もまた、至るべきして興味を持つに至り、考えるためにここに参加する。
--
2.
この春は他にも自らの肩書き的な変更が同時にいくつか起こり、所属することとセーフティネットの関係にそこはかとなく思いを馳せることがよくあった。
そんな時期だったからと言うとこじつけすぎだけれどまったく無縁でもない気分のなかで、数件のアート関係の支援をした。
そのうちの一件は、ニューヨーク在住の女性キュレイターが地下鉄で暴漢に襲われ、命はあるものの顔の整形手術を受けなければならなくなった、その費用は保険ではまかなえる額ではないので支援を募るというもので、キュレイターの友人たちが立ち上げたファウンドだ。
もう一件は、直接の交流は記憶に無いものの、わたしと同じ大学の一学年上に在籍していた女性、谷口緑猫さんの個展『ヒヤシンスと少年:谷口緑猫の軌跡』だ。
こちらも、彼女の友人たちが、その人の 死をきかっけにたちあげた運営組織による。
--
なぜだろう、見知らぬその死を聞いたとき「どうして彼女は死に、自分は生きているのか?」という想いが知らず知らずのうちに止めようもなく湧き上がってきた。
「彼女が死んだ」
この死はまるで自分自身が死の淵にたっていた時間の証のようだった。
こころに近い死であり、でも知らない命だ。
ふとしたきっかけで「周囲」が消えたわたしの30代後半の頃に時計の針を重ねるようにして、彼女は死んだ。
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「あともう少しだった」
そう誰かが振り返ってつぶやいたとして、この「あともう少し」が指し示している到着地点が生なのか死なのか、それは未来からしか言えない、そんな「あともう少しだった」ポイントを経て誰かは死に、誰かは生き延び、あちこちの関係者のなかに掛け替えのなさが駆け巡っている。
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アートに業界というものがあるならば、それは人と人の縁による繋がりだけであってほしくない。
アーティストの人生は、社会保障の枠外にあり、人との縁によって守られて進むようなところがあることを、わたしも知っているし、恩恵をいつも受けてきたし、闇雲にこの隠されたシステムを否定することはしない。
けれど、年を経ることで切実さを増した想いがある。
縁の遠いものも助ける生き方をしたい。
あるいは、縁の外にも複数の足場を築いておかなければならない。
人と人の繋がりがセーフティネットなのは言うまでもないことだけれど、
でも、それでは間に合わない出来事が人生には起こる。
血縁が最初から与えらえない人生もある。
縁を紡ぎにくい精神を抱える人もある。
また、時にはまったくの他人や制度だけが引き上げられる闇もある。
縁にしか接着力がない世界は危険であり、そこには社会はない。
どのような魅力を放たない人生も、すべからく守られる契機を与えられるという理想が、社会が目覚めてきた進化の一側面であり、アートがその戦いを支えた日もあるだろう。
それは、表現の自由の系譜でもある。
様々な運動や思想に、個人的な経験はパンチをくらわせては進ませてきた。
繰り返すなら、アートの歴史は、縁によって支えられもするが、縁の選定を否定する。市民の選定を否定する。
いや、選定は起こる。
だから、わたしたちはそのプロセスと迷いと思い込みと不和と終わらない言い争いを公開する。
--
縁の遠いものを助ける。
縁の遠いものに助けられる。
そんな乾いた豊かさを体にまとわりつかせて、この先を生きていきたい。
「あともう少しだった」
あのポイントの後の日々が、重ねられている。
あのポイントに立った二人の女性と、その周辺で動いた人は、わたしなのだ。
わたしの親で、わたしの友達で、見知らぬ遠い人だ。
死が、遠い命のなかでメタモルフォーゼしてくれるのを、わたしは過去から見ている。
親や友や業界を包み込む、やがて愛に似るものを彼方から託されている。
わたしは、「なるべく、縁の遠いものを助けるようでありたいと思ってて」と、4月中旬のある日にひとりの女性に語りかけた、その言葉は不意に出たものだけれど、彼女や彼女の作品を知らなければでなかった、不意にどこからか何が主体なのかも不明の信頼が投げ出された。
2016/01/31
私と異なるものが、自由を与えている
美術展のオープニング・レセプションに顔を出さなくなって久しい。
特に行かないと決めたわけではなかったけれど、静かに作品だけを見たいというのもあって、人混みを避ける気持ちが強くなっていったのだろうし、
自分の活動基盤としての意味も含めて、興味のあるほうへ動いていたらすっかりギャラリーや美術館から足が遠のいていたという時期が随分と長くあった。
それでも、近年、再び展示という形式のもつ豊かさ、特に観客に開かれている仕組みに懐かしさと新鮮な気持ちを呼び覚まされている。
劇場は体を時間に固定しがちだが、確かに展示会場にはそれが少ない。
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数日前に、友人のMatthew Monahan が参加している『村上隆のスーパーフラット・コレクション』展のオープニングレセプションがあり、珍しく参加してきた。
横浜美術館には何度も通っているのに、初めてあの建築がいかに大きかったのかを実感させられた夜だった。
強烈なヴォリュームの物量と、おそらく「コレクション」として、他に類を見ることは簡単にできないであろうことが一目瞭然の守備範囲の広さが、建築それ自体を内側から否応なく押し広げるようだった。
友人とここってこんな広かったんだねーと顔を見合わせたのだが、展示によって、本来あるべきように、ひとつのまとまりのある空間として建築が見えてきたのが印象深い。
写真では見聞きしていても実物をみたことがなかった作品が多くあり、縄文から現代までに生き残ってきた「人工物」の数々を目の前にして、やはり呆然とするしかない。
そんななかに、Matthewの彫刻が数体展示されている。
少し話が飛ぶが、過去8年にわたって、私は美術大学の非常勤講師という仕事を務めさせてもらった。
その過程で、いつも心のどこかにあり、たびたび頭をかすめたのは、目の前の学生の中にもMatthew MonahanやLara Schnitger がいるはずだということだった。
彼らは私の古い友人であり、私が近寄ろうともしてこなかった純然たる巨大なギャラリーシステムの中で生きているアーティストたちであり、けれども、ここで最も重要なこととして言ってみたいのは、私が自分の領域と感じて育んできたアートとは違って、彼らはマテリアルと格闘しながら手に取れる「物」を作り出しているということ、そしてその「物」のなかには、プリミティブな、あるいは個人的な手つきと美術が培ってきた眼差しが同居しているという点だ。
私は油断すると「物質」からも「美術」からも心を離してしまいがちだが、彼らの作品を見て語り合うたびに、「物」を通してアートがあることの面白さをいつも思い出してきた。
そして、この、自分が作る作品との異なりをとても大切に感じる。
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アーティスト、おそらく美術家は本来多様な立場や手段に開かれている活動家である。(と、願いたい)
どのようなマテリアルやメディアでも、コンセプチュアルであってもポリティカルであっても私的であっても、ポップであっても抽象であっても、物語性であっても世界の仕組みのダイナミズムであっても、先人たちが積み上げてきた美術固有の問題に根ざしていても、それらの問題から離れようとしていても、
いずれにしても、アーティストは自分の手に、とても繊細なあなた自身と、アートが外の社会とブリッジを繰り返すことによって培ってきた「文脈」という、時に厄介な複雑さを同居させていいという確信を、学生たちの心のなかに小さくとも持って欲しいと考えてきた。
なぜなら、日本の美術大学の教育環境は、どうしても教える一人の人格に収まった手段や方法に依存しがちで、よほど注意して多様な教師を揃えない限り、なかなか「教師個人が影響を受けた時代のムーブメント」のようなものから眼差しが離れにくいように思う。
(そのことはもちろん、こんなことを書いている私こそが、小さく閉じた場所に立っていることを思い出させる。)
その結果、時に「あなた自身にしか由来しない問題」を、若い人が知らず知らずに自分自身に禁じてしまうような、教えてくれる人へ向かった勤勉さを身につけかねないような危険を感じて怖くなる。当然ながら、彼らだって制作を重ねるなかで、そういった呪縛からは解かれていくに違いないにしたって。
私塾であれば、それでいいだろう。
けれど、大学は私塾ではない。と思う。
時々本当にわかんなくはなる。
そして、学生は年間約200万円もの大金を支払っている。このことが私にはどうしても無視できなかった。
毎年、一ヶ月間だけとはいえ、20人前後の学生を目の前にして偉そうに立つことは、とても気恥ずかしく窮屈なことでもあったけれど、私には200万円の一部分が回り回って使われているのだから、オファーされた仕事としてできることはなんだろうか?と考え続けた8年間でもあった。(それはまぁ、どうやって出演料を捻出しながら公演を打てるだろうか?という、非常に大衆のお財布と密接に繋がった活動に、私自身が没頭した時期と重なった8年でもあるかからかもしれない。)
だから仕事として、
私は、過去から現在にわたるまでの多くのアーティストが開いてきた手段や立場の多様性を前提として、例え河村美雪個人にはわからなかったとしても、あなたにはあなた固有のメディアや問題が発見される可能性があり、それに向かいあうことが圧倒的に許可されていることを伝える、少なくとも伝えるチャンスを逃さないようにすることを、どうにかして大事にしたかった。
なので、時々、それはあなたが本当に触りたい問題なのかどうかを聞き続けることになり、かえって混乱を生じさせたかもしれない。
目の前には、私とは異なるタイプの可能性をもった一人一人がいるだろうことを思い、どうやったらそれを潰さない自分でいられるだろうか?と自分の言葉を頼りなく思うこともたびたびあった。
その不安から私を誘導してくれたのが、MattやLaraの作品に、そういった「物」を作らない私自身が複雑でぶっとい在り方を目撃して喜んでいるという実感だったように思う。
自分とは異なる手段や立場や活動がある。
だから素晴らしいのではないが、そのことが同時代を生きる"私たち"であることに、自由を植え付けてくれる。
そして、8年の間に何度も訪れた別の「目撃」についても書いておきたい。
学生とはいえ、彼らはアーティストであり、授業の時も卒業後もたくさんの、私には無いおもしろいものを見せてくれる。
その目撃は、なんて本当にすてきでありがたいことでしょう。何しろ、その時「先生」が消えて、わたしも、いつも通りにたったひとりで心細いままに立っていられるようになる。
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『村上隆のスーパーフラット・コレクション』に戻る。
朝まで続くパーティのなかで、私たちは最終的に16年前と同じようにアホみたく踊って笑っていた。あとから、あそこで撮影された写真だけは公開されないことを祈ろうと苦笑し合ったが、実のところ、ああいう時のダンスは下手くそで最高に狂ってて、なにしろキュートだ。
オープニングレセプションとはなんだろう?
その夜の中では、多くのアーティストに会い、敬意を抱えたり、自身に絶望したり、呆れたり、嬉しくなったり、そして誰かの成したことを祝祭して、ただただパーッと派手に散らす。
特に、今回の展示を見た後では、ケチケチせずに太く生きることを心が求めずにいられない。たとえその火がすぐに消え去ってしまうとしても、今回は、なんだかあそこにあった強さを覚えていたいと思った。
特に行かないと決めたわけではなかったけれど、静かに作品だけを見たいというのもあって、人混みを避ける気持ちが強くなっていったのだろうし、
自分の活動基盤としての意味も含めて、興味のあるほうへ動いていたらすっかりギャラリーや美術館から足が遠のいていたという時期が随分と長くあった。
それでも、近年、再び展示という形式のもつ豊かさ、特に観客に開かれている仕組みに懐かしさと新鮮な気持ちを呼び覚まされている。
劇場は体を時間に固定しがちだが、確かに展示会場にはそれが少ない。
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数日前に、友人のMatthew Monahan が参加している『村上隆のスーパーフラット・コレクション』展のオープニングレセプションがあり、珍しく参加してきた。
横浜美術館には何度も通っているのに、初めてあの建築がいかに大きかったのかを実感させられた夜だった。
強烈なヴォリュームの物量と、おそらく「コレクション」として、他に類を見ることは簡単にできないであろうことが一目瞭然の守備範囲の広さが、建築それ自体を内側から否応なく押し広げるようだった。
友人とここってこんな広かったんだねーと顔を見合わせたのだが、展示によって、本来あるべきように、ひとつのまとまりのある空間として建築が見えてきたのが印象深い。
写真では見聞きしていても実物をみたことがなかった作品が多くあり、縄文から現代までに生き残ってきた「人工物」の数々を目の前にして、やはり呆然とするしかない。
そんななかに、Matthewの彫刻が数体展示されている。
少し話が飛ぶが、過去8年にわたって、私は美術大学の非常勤講師という仕事を務めさせてもらった。
その過程で、いつも心のどこかにあり、たびたび頭をかすめたのは、目の前の学生の中にもMatthew MonahanやLara Schnitger がいるはずだということだった。
彼らは私の古い友人であり、私が近寄ろうともしてこなかった純然たる巨大なギャラリーシステムの中で生きているアーティストたちであり、けれども、ここで最も重要なこととして言ってみたいのは、私が自分の領域と感じて育んできたアートとは違って、彼らはマテリアルと格闘しながら手に取れる「物」を作り出しているということ、そしてその「物」のなかには、プリミティブな、あるいは個人的な手つきと美術が培ってきた眼差しが同居しているという点だ。
私は油断すると「物質」からも「美術」からも心を離してしまいがちだが、彼らの作品を見て語り合うたびに、「物」を通してアートがあることの面白さをいつも思い出してきた。
そして、この、自分が作る作品との異なりをとても大切に感じる。
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アーティスト、おそらく美術家は本来多様な立場や手段に開かれている活動家である。(と、願いたい)
どのようなマテリアルやメディアでも、コンセプチュアルであってもポリティカルであっても私的であっても、ポップであっても抽象であっても、物語性であっても世界の仕組みのダイナミズムであっても、先人たちが積み上げてきた美術固有の問題に根ざしていても、それらの問題から離れようとしていても、
いずれにしても、アーティストは自分の手に、とても繊細なあなた自身と、アートが外の社会とブリッジを繰り返すことによって培ってきた「文脈」という、時に厄介な複雑さを同居させていいという確信を、学生たちの心のなかに小さくとも持って欲しいと考えてきた。
なぜなら、日本の美術大学の教育環境は、どうしても教える一人の人格に収まった手段や方法に依存しがちで、よほど注意して多様な教師を揃えない限り、なかなか「教師個人が影響を受けた時代のムーブメント」のようなものから眼差しが離れにくいように思う。
(そのことはもちろん、こんなことを書いている私こそが、小さく閉じた場所に立っていることを思い出させる。)
その結果、時に「あなた自身にしか由来しない問題」を、若い人が知らず知らずに自分自身に禁じてしまうような、教えてくれる人へ向かった勤勉さを身につけかねないような危険を感じて怖くなる。当然ながら、彼らだって制作を重ねるなかで、そういった呪縛からは解かれていくに違いないにしたって。
私塾であれば、それでいいだろう。
けれど、大学は私塾ではない。と思う。
時々本当にわかんなくはなる。
そして、学生は年間約200万円もの大金を支払っている。このことが私にはどうしても無視できなかった。
毎年、一ヶ月間だけとはいえ、20人前後の学生を目の前にして偉そうに立つことは、とても気恥ずかしく窮屈なことでもあったけれど、私には200万円の一部分が回り回って使われているのだから、オファーされた仕事としてできることはなんだろうか?と考え続けた8年間でもあった。(それはまぁ、どうやって出演料を捻出しながら公演を打てるだろうか?という、非常に大衆のお財布と密接に繋がった活動に、私自身が没頭した時期と重なった8年でもあるかからかもしれない。)
だから仕事として、
私は、過去から現在にわたるまでの多くのアーティストが開いてきた手段や立場の多様性を前提として、例え河村美雪個人にはわからなかったとしても、あなたにはあなた固有のメディアや問題が発見される可能性があり、それに向かいあうことが圧倒的に許可されていることを伝える、少なくとも伝えるチャンスを逃さないようにすることを、どうにかして大事にしたかった。
なので、時々、それはあなたが本当に触りたい問題なのかどうかを聞き続けることになり、かえって混乱を生じさせたかもしれない。
目の前には、私とは異なるタイプの可能性をもった一人一人がいるだろうことを思い、どうやったらそれを潰さない自分でいられるだろうか?と自分の言葉を頼りなく思うこともたびたびあった。
その不安から私を誘導してくれたのが、MattやLaraの作品に、そういった「物」を作らない私自身が複雑でぶっとい在り方を目撃して喜んでいるという実感だったように思う。
自分とは異なる手段や立場や活動がある。
だから素晴らしいのではないが、そのことが同時代を生きる"私たち"であることに、自由を植え付けてくれる。
そして、8年の間に何度も訪れた別の「目撃」についても書いておきたい。
学生とはいえ、彼らはアーティストであり、授業の時も卒業後もたくさんの、私には無いおもしろいものを見せてくれる。
その目撃は、なんて本当にすてきでありがたいことでしょう。何しろ、その時「先生」が消えて、わたしも、いつも通りにたったひとりで心細いままに立っていられるようになる。
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『村上隆のスーパーフラット・コレクション』に戻る。
朝まで続くパーティのなかで、私たちは最終的に16年前と同じようにアホみたく踊って笑っていた。あとから、あそこで撮影された写真だけは公開されないことを祈ろうと苦笑し合ったが、実のところ、ああいう時のダンスは下手くそで最高に狂ってて、なにしろキュートだ。
オープニングレセプションとはなんだろう?
その夜の中では、多くのアーティストに会い、敬意を抱えたり、自身に絶望したり、呆れたり、嬉しくなったり、そして誰かの成したことを祝祭して、ただただパーッと派手に散らす。
特に、今回の展示を見た後では、ケチケチせずに太く生きることを心が求めずにいられない。たとえその火がすぐに消え去ってしまうとしても、今回は、なんだかあそこにあった強さを覚えていたいと思った。
2015/09/20
「すばらしく」はない
今年の春くらいから、不眠が悪化している。
試しに睡眠導入剤をもらってみても、起きれなくなったりでどうにもしようがなく、いつもこうして朝を待っている。
眠れないのは、ついついニュースを追ってしまうからだろうか。
昨夜遅くに安保法が可決された。
わたしは、究極的には護憲派だけれども、沖縄のような現状があるなかで「アメリカから独立する」ための手続きとして、立ちどまってしっかりと憲法に向き合うべき時は必ずあると思っている。
つまびらかに考えることは、正体不明の化け物に対する不安に打ち勝つことだし、その先に九条を守る手を新たに打つこともできる、と信じている。
ただし、それは圧倒的な理想を突き進む覚悟を持つことなんだけれど。
というか、そういった議論を尽くすのが、政治家の仕事ではないの。
海外の友人と話すとき、日本は本当には民主主義の国ではないんだろうなと思うことは多々ある。
必ずしも安定した国の人だけを目前にしているわけではない。
難しい状況をかかえて、自分の国に帰るビザを持たない人もいる。
それでも、日本にいるときに私が感じている抑圧を、彼らが理解できるとは思えない。
特にノルウェーという国を歩いたあとでは、なぜ、日本で(特に女性として)生きることはこうまでも複雑で、黙って飲み込むことを多く要求され、「男性性に由来するプライド」への気遣いに疲れ果ててしまわなければならないのかと考え込まずにいられない。
そして、多くの人は、その疲れさえ気づかないようにして一生懸命に他人を気遣って生きている。
ノルウェーは、必ずしも「すばらしく」はなかった。
けれども、人々は、自分一個分の人生を疑う必要なく生きている感じがした。
このことを、まだうまく言えないのだけれど。
「移民する本」は、わたし自身にとっては、休憩のような側面を持ってスタートした企画だった。
この企画をアートと呼ぶのは、やはり少し大げさにすぎるようにも感じる。
もっと単純に旅であり、長いドネーションの仕組みなのだと言うべきなのかもしれない。(移民と難民は混同してはならないが)
だがしかし、やっぱりそれだけでもないだろう。
オスロへの旅は、予感はしていたけれど、決して明るく華やいだ気持ちに満ちた時間ではなく、平等性や生きることの権利、女性の人生について考える時間だった。
それを持ち帰ったいま、ようやく「休憩」ではないほうの抽象的なアートにもういちど向かう気力を持っている。
けれど、その気力とは別にして、政府によってゲームの捨て駒のように扱われた「私」の人権が、かわいそうなのだ。
それが、夜明け前に見ているもの。
ゴミのように当然のこととして捨てられた人権が、ほんとうにかわいそうだ。
試しに睡眠導入剤をもらってみても、起きれなくなったりでどうにもしようがなく、いつもこうして朝を待っている。
眠れないのは、ついついニュースを追ってしまうからだろうか。
昨夜遅くに安保法が可決された。
わたしは、究極的には護憲派だけれども、沖縄のような現状があるなかで「アメリカから独立する」ための手続きとして、立ちどまってしっかりと憲法に向き合うべき時は必ずあると思っている。
つまびらかに考えることは、正体不明の化け物に対する不安に打ち勝つことだし、その先に九条を守る手を新たに打つこともできる、と信じている。
ただし、それは圧倒的な理想を突き進む覚悟を持つことなんだけれど。
というか、そういった議論を尽くすのが、政治家の仕事ではないの。
海外の友人と話すとき、日本は本当には民主主義の国ではないんだろうなと思うことは多々ある。
必ずしも安定した国の人だけを目前にしているわけではない。
難しい状況をかかえて、自分の国に帰るビザを持たない人もいる。
それでも、日本にいるときに私が感じている抑圧を、彼らが理解できるとは思えない。
特にノルウェーという国を歩いたあとでは、なぜ、日本で(特に女性として)生きることはこうまでも複雑で、黙って飲み込むことを多く要求され、「男性性に由来するプライド」への気遣いに疲れ果ててしまわなければならないのかと考え込まずにいられない。
そして、多くの人は、その疲れさえ気づかないようにして一生懸命に他人を気遣って生きている。
ノルウェーは、必ずしも「すばらしく」はなかった。
けれども、人々は、自分一個分の人生を疑う必要なく生きている感じがした。
このことを、まだうまく言えないのだけれど。
「移民する本」は、わたし自身にとっては、休憩のような側面を持ってスタートした企画だった。
この企画をアートと呼ぶのは、やはり少し大げさにすぎるようにも感じる。
もっと単純に旅であり、長いドネーションの仕組みなのだと言うべきなのかもしれない。(移民と難民は混同してはならないが)
だがしかし、やっぱりそれだけでもないだろう。
オスロへの旅は、予感はしていたけれど、決して明るく華やいだ気持ちに満ちた時間ではなく、平等性や生きることの権利、女性の人生について考える時間だった。
それを持ち帰ったいま、ようやく「休憩」ではないほうの抽象的なアートにもういちど向かう気力を持っている。
けれど、その気力とは別にして、政府によってゲームの捨て駒のように扱われた「私」の人権が、かわいそうなのだ。
それが、夜明け前に見ているもの。
ゴミのように当然のこととして捨てられた人権が、ほんとうにかわいそうだ。
2015/09/07
冬を知らせる雨
やっと床上げした。
オスロでの2週間は、お天気に恵まれて、春の日のいちばんうつくしい瞬間を一日中味わっているような日が続いた。
ある日、少し肌寒くなり雨がざーっと降った。
わたしが顔を上げると、本屋のオーナーのひとりであるPilがこちらを見て少し笑って、冬がくるんだ。と言った、とかいうとまるで作り事のようだけれど本当に映画のような一瞬だった。
いつものことながら、どこかに馴染むのに苦労したことはなく、去るのにも苦労はない。
ただ、今回は2回の英語のプレゼンを終えて気が抜けたのか、最終日に風邪をひいてしまった。
それを悪化させながらの帰国となり、今朝まで眠り続けていた。
まだ部屋は帰国直後のわさわさした感じがある。
床上げしたつもりが、夜には腹痛で冷や汗をかくなど、日本にいるあいだの自分がなぜこうも痛みや咳や辛さで動けないのか情けなくなる。
データのチェックだとか制作だとかはあきらめて、ゆっくりと時間をかけていくしかない。
すこしづつ、オスロのこともなんということはないけれども、書いていこうとおもいます。
オスロでの2週間は、お天気に恵まれて、春の日のいちばんうつくしい瞬間を一日中味わっているような日が続いた。
ある日、少し肌寒くなり雨がざーっと降った。
わたしが顔を上げると、本屋のオーナーのひとりであるPilがこちらを見て少し笑って、冬がくるんだ。と言った、とかいうとまるで作り事のようだけれど本当に映画のような一瞬だった。
いつものことながら、どこかに馴染むのに苦労したことはなく、去るのにも苦労はない。
ただ、今回は2回の英語のプレゼンを終えて気が抜けたのか、最終日に風邪をひいてしまった。
それを悪化させながらの帰国となり、今朝まで眠り続けていた。
まだ部屋は帰国直後のわさわさした感じがある。
床上げしたつもりが、夜には腹痛で冷や汗をかくなど、日本にいるあいだの自分がなぜこうも痛みや咳や辛さで動けないのか情けなくなる。
データのチェックだとか制作だとかはあきらめて、ゆっくりと時間をかけていくしかない。
すこしづつ、オスロのこともなんということはないけれども、書いていこうとおもいます。
2015/06/14
美術のパフォーマンスには無い身体
先日、東京造形大学での4週間のワークショップと講評が終わり、その翌日、山縣太一さん作演出で大谷さんが主演の『海底で履く靴には紐がない』を見に行った。
講評の日に、久しぶりにHさんにお会いして様々なことをおしゃべりした。
そこでおしゃべりした事柄と、『海底で履く靴には紐がない』で見たものがつらーっと繋がっている、いま。
私はもともと『Line京急』のファンなので、山縣さんと大谷さんの組みあわせは待望の感があるのだけれど、そこに口をダラーッとさせた女優や、筋肉質な俳優の身体の移動が加わる様に居合わせていると、空間に音楽がひょっこり顔を出した。
大谷さんが作る音のなかでも、短めのラインのような状態が繰り返されるごとに変化していくときのあの感覚が、ひょっこりと。
そして、大谷さんの身体に重ねああわせて、当然のように山縣さんの身体が記憶から呼び覚まされて浮かび上がってくるのだけれど、その密な体が、美術のパフォーマンスには無い。
そのことを、以前はよく考えたものだったな、と思い出した。
2009年から2013年の自分の活動には、いくつかの挑戦があった。
その内のひとつの流れが科学を通した「形の変換」であり、そしてもうひとつが「身体がある」ということだった。
どちらかというと、「身体がある」のほうが先に、必然的な興味として自分の中に2007年に生まれた。
ある作品を劇場で発表する機会をいただいたときに、その2時間、劇場に言葉は溢れているのに身体が無いことに気がついたのが最初だった。
あの作品を、もしもギャラリーやオルタナティブなものであれアート的な空間で上演したならば、身体のおざなりには気づかなかったとおもう。
そこから、わたしは本当に様々な人の力を借りて進んで来たし、進もうとしてきたとおもう。
身体はあまりにも自分には難しいマテリアルでありインターフェースだったので、ダンサーや俳優や舞台にあがる人の力を借りるのが当然のように思われた。
そして、でもやっぱり「借りる」では中途半端にしかわからなかったのだろう、と今になっておもう。
答えの出ないことを誰かに相談したとしても、そこで得た回答は、結局は当座しのぎにしかならず、必ず後から落とし前をとらされるものだが、そういう感触が身体に向き合おうとしてしなかった経験の中にはある。
実のところ、2013年の夏以降、わたしは身体のことを考えないようにしてきた。
この2年の間、自分にはそれを考えることは許可されていないというか、真摯に身体にむきあっている人たちを前にして、語るどころか、考えることさえも憚るべきような気がしてならなかった。
なのだけれども、この数日の対話ですこし気力が風向きを変えた。
今年の夏に、ダンサーたちとの時間をヨーロッパで過ごすことになっている。
彼らの力を借りるのではなく、密な身体にわたし自身が向きあう楽しみが浮かび上がっている。いま。
そして、それは美術のなかに取り急ぎはあるだろうけれど、やがてもう一度、自由に挑戦してみようとおもう。
講評の日に、久しぶりにHさんにお会いして様々なことをおしゃべりした。
そこでおしゃべりした事柄と、『海底で履く靴には紐がない』で見たものがつらーっと繋がっている、いま。
私はもともと『Line京急』のファンなので、山縣さんと大谷さんの組みあわせは待望の感があるのだけれど、そこに口をダラーッとさせた女優や、筋肉質な俳優の身体の移動が加わる様に居合わせていると、空間に音楽がひょっこり顔を出した。
大谷さんが作る音のなかでも、短めのラインのような状態が繰り返されるごとに変化していくときのあの感覚が、ひょっこりと。
そして、大谷さんの身体に重ねああわせて、当然のように山縣さんの身体が記憶から呼び覚まされて浮かび上がってくるのだけれど、その密な体が、美術のパフォーマンスには無い。
そのことを、以前はよく考えたものだったな、と思い出した。
2009年から2013年の自分の活動には、いくつかの挑戦があった。
その内のひとつの流れが科学を通した「形の変換」であり、そしてもうひとつが「身体がある」ということだった。
どちらかというと、「身体がある」のほうが先に、必然的な興味として自分の中に2007年に生まれた。
ある作品を劇場で発表する機会をいただいたときに、その2時間、劇場に言葉は溢れているのに身体が無いことに気がついたのが最初だった。
あの作品を、もしもギャラリーやオルタナティブなものであれアート的な空間で上演したならば、身体のおざなりには気づかなかったとおもう。
そこから、わたしは本当に様々な人の力を借りて進んで来たし、進もうとしてきたとおもう。
身体はあまりにも自分には難しいマテリアルでありインターフェースだったので、ダンサーや俳優や舞台にあがる人の力を借りるのが当然のように思われた。
そして、でもやっぱり「借りる」では中途半端にしかわからなかったのだろう、と今になっておもう。
答えの出ないことを誰かに相談したとしても、そこで得た回答は、結局は当座しのぎにしかならず、必ず後から落とし前をとらされるものだが、そういう感触が身体に向き合おうとしてしなかった経験の中にはある。
実のところ、2013年の夏以降、わたしは身体のことを考えないようにしてきた。
この2年の間、自分にはそれを考えることは許可されていないというか、真摯に身体にむきあっている人たちを前にして、語るどころか、考えることさえも憚るべきような気がしてならなかった。
なのだけれども、この数日の対話ですこし気力が風向きを変えた。
今年の夏に、ダンサーたちとの時間をヨーロッパで過ごすことになっている。
彼らの力を借りるのではなく、密な身体にわたし自身が向きあう楽しみが浮かび上がっている。いま。
そして、それは美術のなかに取り急ぎはあるだろうけれど、やがてもう一度、自由に挑戦してみようとおもう。
2015/06/06
THE COCKPIT
THE COCKPIT という映画をみた。
『THE COCKPIT』は、ヒップホップの一曲ができあがるまでを追った1時間程度の映画なんだけれど、なんだかとてもすきだった。
すきな理由はいくつもあげられるし、それは多くの人々が抱く感情や感想と大差ないので書かないでいいとおもう。
というのも、ちょっとすきながら、、、というかすきだからというか、見ながらいろいろに考えてしまったことがある。
まだ若い部類の男の人たちが数人あつまって、音を打ち込んだりリリックを書いたりしている。
わたしは、そういう現場がすきだ。
その現場に女子や女性がいたって、どうやったってうまく居れないことも知っている。そして、だからこそやっぱりすきなのだ。
というこの感覚は、オッサンが若い女の子に萌えているのとどう違うんだろうか?と考えてしまった。
違うといいたいし、違う面がある。
あるいは、このオトコノヒトタチが、いつ、他人の上に立つことにプライドの拠り所を見いだした大人の男性になっていくのか、ならないならどうなるのか、というようなことをついつい考えてしまう。
男性だけしか映らない映像のなかで、気持ちよく遊びにいそしむ彼らの保たれた均衡が、余計に不安をかき立て、彼らが永遠にその遊びにいそしんでくれないだろうか、などとふと、どうでもいい感情を抱く。
くだらねー、と言われるだろうか。
でも、30代が後半になったころから、日本で女性でいることは、はっきりと生きにくくなった。
それまでも難しかったが、それまでの生きづらさとは違う。
居ることそのものが難しくなった。
「発言を許可された女性」でいるための、いくつかの社会が無意識に持っているフレームから自分自身は外れてしまったのだろうと思わせることが増えていった。
フレームを外れたターニングポイントはいくつかあり、20代中盤の英語での生活で言葉が解放された時期と、30代中盤で研究職の女性たちの「発言する態度」に出会ったことだろうと思う。
英語圏や研究職に女性差別が無いといいたいのではない。
だけれども、私がそれまでに居たコミュニティーとは違っていた。
先日、少し年上の女性が「自分は若い頃に、天然っぽい雰囲気を醸し出して"わからないフリ"をしていた(のだと後から思った)。だが、環境を移動した時に自分の考えを隠すことなく言葉にしなければいけないことを知った。が、時を経てもう一度古い環境に戻ってみると、「言葉」も「考え」も許されておらず、居るためにはやはり若干の"わからないフリ"をしなければならなかった。」というようなことを言っていて、その発言はとても腑に落ちるところがあった。
ある世界で、人が子供っぽい態度を身につける理由は、無意識に身を守るためだ。
そのことには性差はないかもしれない。
だが、その人が大人の態度を身につけ始めたとたんに、「居る」というだけのことが、あまりにも周囲からは異質で不気味な感触を帯びるような現場が、日本の女性にはあるように思えてならない。
「フレームを外れたターニングポイント」には、実は書くに書けないようなポイントもある。
書くことができるポイントは、「オープンであること」をわたしが知らず知らずに身につけた、言って見ればまだしも個人的にはポジティブな転換である。
けれど、人生には「弱さ」を植え付けられるような時間もある。
最近の日本に「居ていい人間(女性)」というのは、強すぎず、そして表舞台からの光が届かないような輪郭の暗さを持たないもの、
この強弱のバランスの上に立つ、奇跡的な夢の像のことなのだろうと思う。
映画の話とあまり関係のない内容になってしまった。
『THE COCKPIT』は、まぁ、そんなこととはまったく無関係の内容であり、すばらしかった。
ただ、わたしの中にはそれらを介して他に連想をいだく理由があっただけのこと。
『THE COCKPIT』は、ヒップホップの一曲ができあがるまでを追った1時間程度の映画なんだけれど、なんだかとてもすきだった。
すきな理由はいくつもあげられるし、それは多くの人々が抱く感情や感想と大差ないので書かないでいいとおもう。
というのも、ちょっとすきながら、、、というかすきだからというか、見ながらいろいろに考えてしまったことがある。
まだ若い部類の男の人たちが数人あつまって、音を打ち込んだりリリックを書いたりしている。
わたしは、そういう現場がすきだ。
その現場に女子や女性がいたって、どうやったってうまく居れないことも知っている。そして、だからこそやっぱりすきなのだ。
というこの感覚は、オッサンが若い女の子に萌えているのとどう違うんだろうか?と考えてしまった。
違うといいたいし、違う面がある。
あるいは、このオトコノヒトタチが、いつ、他人の上に立つことにプライドの拠り所を見いだした大人の男性になっていくのか、ならないならどうなるのか、というようなことをついつい考えてしまう。
男性だけしか映らない映像のなかで、気持ちよく遊びにいそしむ彼らの保たれた均衡が、余計に不安をかき立て、彼らが永遠にその遊びにいそしんでくれないだろうか、などとふと、どうでもいい感情を抱く。
くだらねー、と言われるだろうか。
でも、30代が後半になったころから、日本で女性でいることは、はっきりと生きにくくなった。
それまでも難しかったが、それまでの生きづらさとは違う。
居ることそのものが難しくなった。
「発言を許可された女性」でいるための、いくつかの社会が無意識に持っているフレームから自分自身は外れてしまったのだろうと思わせることが増えていった。
フレームを外れたターニングポイントはいくつかあり、20代中盤の英語での生活で言葉が解放された時期と、30代中盤で研究職の女性たちの「発言する態度」に出会ったことだろうと思う。
英語圏や研究職に女性差別が無いといいたいのではない。
だけれども、私がそれまでに居たコミュニティーとは違っていた。
先日、少し年上の女性が「自分は若い頃に、天然っぽい雰囲気を醸し出して"わからないフリ"をしていた(のだと後から思った)。だが、環境を移動した時に自分の考えを隠すことなく言葉にしなければいけないことを知った。が、時を経てもう一度古い環境に戻ってみると、「言葉」も「考え」も許されておらず、居るためにはやはり若干の"わからないフリ"をしなければならなかった。」というようなことを言っていて、その発言はとても腑に落ちるところがあった。
ある世界で、人が子供っぽい態度を身につける理由は、無意識に身を守るためだ。
そのことには性差はないかもしれない。
だが、その人が大人の態度を身につけ始めたとたんに、「居る」というだけのことが、あまりにも周囲からは異質で不気味な感触を帯びるような現場が、日本の女性にはあるように思えてならない。
「フレームを外れたターニングポイント」には、実は書くに書けないようなポイントもある。
書くことができるポイントは、「オープンであること」をわたしが知らず知らずに身につけた、言って見ればまだしも個人的にはポジティブな転換である。
けれど、人生には「弱さ」を植え付けられるような時間もある。
最近の日本に「居ていい人間(女性)」というのは、強すぎず、そして表舞台からの光が届かないような輪郭の暗さを持たないもの、
この強弱のバランスの上に立つ、奇跡的な夢の像のことなのだろうと思う。
映画の話とあまり関係のない内容になってしまった。
『THE COCKPIT』は、まぁ、そんなこととはまったく無関係の内容であり、すばらしかった。
ただ、わたしの中にはそれらを介して他に連想をいだく理由があっただけのこと。
2015/04/26
ボリビアポスタービエンナーレ
先週だったか、来日中のEと骨董屋をため息をつきながら、ふたりで見てまわった。
そのあとで、うちでお酒を飲みながらいろいろな話をした。
Eは文字通り地球中を移動しつづけており、私は止まっている。
自由への概念も実感も異なる。
それでも、話がつきることはなく、リラックスしたよるがすぎていった。
そして、わたしたちのコラボの小さな一歩を約束して別れた。
そのあとから、私は今つくっている作品の「作り直し」に本格的にはいっていって、内心、いつまでこの作品に時間をかけるつもりなんだろうかと冷や汗をかかないわけでもない。
取材した量が多いからという理由でもなく、作っていると様々なことが想起されて扱うべきことがいくつもいくつも溢れかえるように湧いてでてくる。
あるいは、その想起の過程が実はやはり少し辛くもあって、その心の様を眺めてしまうのかもしれない。
そういえば、「形と暴力が私をパレードする」のポスターが、ボリビアのポスタービエンナーレに入選したのだそうだ。
"72カ国5812枚のエントリーの中から300枚のセレクト"だそう。
このポスターはすでに複数のデザインアワードで入賞や賞をいただいている。
すべてデザイナーの力だと思っている。
このポスターはすでに複数のデザインアワードで入賞や賞をいただいている。
すべてデザイナーの力だと思っている。
2015/02/02
移民・移行・移住
いま、私は「移民する本」という作品を連続で作っている。
内容も方法も、Vol.1と2ではまったく異なるのだけれど、「移民」というメタファーを頼りにして、拠り所の曖昧な存在の視点を対象としていることは一貫している。
もともと「移民」という語は欧米ではネガティブなイメージが強いので使わないほうがいいと忠告を受けていた。
その時にも、自分が「移民」という言葉の持つ事情をどこまで見つめることができるのかを考えた。
でも、これから無知な私の目の前に開示されるだろう複雑な事情に、ひとつづ、にじり寄る程度にしかイメージできなかった。
つまり、とてもじゃないけれど一気に包括的に、我が問題として引き受けるようなことは不可能だろうと思った。
ただ、当然だけれども、「ひとつひとつににじり寄る」というのは「多くの複雑な事情から目を背ける」と同じではない。
ひとつひとつ、どうにか向き合う。
どんな時にも、エキセントリックに短い興味を寄せて「社会問題」を扱うような、そんなアートなんて私はいらぬよ、と自分の手に対しては言い聞かせてきたし、どちらかというと、このテーマはごくごく個人的な経験から出発している。
ただ、多くの個人的な経験がそうであるように、わたしたちは小さな経験を通して、逃れがたい大きな世界の事情を見ることになる。
だからこそ、一回では成し遂げられない。
----
この制作の最中にも、どんどんと移民という言葉をそれこそ楽観的にも、気楽にも日本にいてさえ使えなくなるような、(まるで「ヒットラー」とドイツにいる間は簡単には発せられないような雰囲気に似た)事態が世界で起こり続けている。
どのような方向から見ても、考えても、途方にくれてしまう状況に覆われはじめている。
911の後の雰囲気を思い出している。
----
このプロジェクトがオープンする以前に、私は移民研究者やアーティスト、批評家と、それぞれに対話の機会を設けてもらった。
そういった経過を経て、「移民」よりも「移住、移行」という意味あいの強い"migrating" を英訳として使うことにしたのだが、日に日にもっと腰を据えて、このmigratingという言葉にさえ向き合わないといけないことを実感している。
同時に、それでも歯をくいしばるように「複雑な事情」に目を見張るばかりではなく、本質的な「移民」という現象がみせてくれる多様な側面にこそ、 心を寄せるようにして作りたいと思う。
なんだろ、ちょっと中途半端に四角四面な、ダサいほうの道徳的な文章になってしまったけれども、やっぱりこんなテキストを書くようなことも、作るなかでは起こるんだな。
そうなのかな、どうだろうか。
内容も方法も、Vol.1と2ではまったく異なるのだけれど、「移民」というメタファーを頼りにして、拠り所の曖昧な存在の視点を対象としていることは一貫している。
もともと「移民」という語は欧米ではネガティブなイメージが強いので使わないほうがいいと忠告を受けていた。
その時にも、自分が「移民」という言葉の持つ事情をどこまで見つめることができるのかを考えた。
でも、これから無知な私の目の前に開示されるだろう複雑な事情に、ひとつづ、にじり寄る程度にしかイメージできなかった。
つまり、とてもじゃないけれど一気に包括的に、我が問題として引き受けるようなことは不可能だろうと思った。
ただ、当然だけれども、「ひとつひとつににじり寄る」というのは「多くの複雑な事情から目を背ける」と同じではない。
ひとつひとつ、どうにか向き合う。
どんな時にも、エキセントリックに短い興味を寄せて「社会問題」を扱うような、そんなアートなんて私はいらぬよ、と自分の手に対しては言い聞かせてきたし、どちらかというと、このテーマはごくごく個人的な経験から出発している。
ただ、多くの個人的な経験がそうであるように、わたしたちは小さな経験を通して、逃れがたい大きな世界の事情を見ることになる。
だからこそ、一回では成し遂げられない。
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この制作の最中にも、どんどんと移民という言葉をそれこそ楽観的にも、気楽にも日本にいてさえ使えなくなるような、(まるで「ヒットラー」とドイツにいる間は簡単には発せられないような雰囲気に似た)事態が世界で起こり続けている。
どのような方向から見ても、考えても、途方にくれてしまう状況に覆われはじめている。
911の後の雰囲気を思い出している。
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このプロジェクトがオープンする以前に、私は移民研究者やアーティスト、批評家と、それぞれに対話の機会を設けてもらった。
そういった経過を経て、「移民」よりも「移住、移行」という意味あいの強い"migrating" を英訳として使うことにしたのだが、日に日にもっと腰を据えて、このmigratingという言葉にさえ向き合わないといけないことを実感している。
同時に、それでも歯をくいしばるように「複雑な事情」に目を見張るばかりではなく、本質的な「移民」という現象がみせてくれる多様な側面にこそ、 心を寄せるようにして作りたいと思う。
なんだろ、ちょっと中途半端に四角四面な、ダサいほうの道徳的な文章になってしまったけれども、やっぱりこんなテキストを書くようなことも、作るなかでは起こるんだな。
そうなのかな、どうだろうか。
2015/01/17
みえない世界
新年があけておりまする。
とっくに。
年末からノンストップの忙しさに突入したまま、新年がどうのという心はまったくもてなかったのであけましておめでとうも言い忘れたままです。
広島、名古屋、京都と移動しつつ制作もしつつ、やっと東京に戻ってきた。
----
作品を作っていく過程で、ひとつ 歩を進めるたびに、自分への問いが増える。
コンセプチュアルアートは、「現実」を扱うことをルールのようにしている 面があるのかもしれないが、その「現実を扱う」という規範のようなもののために、他者の生々しい権利を無視しても良い、というふうに自分を納得させていないだろうか?と一歩一歩のすべてで思っている。
おそらく、私が立ち止まっている「他者の生々しい権利」なんて、他者である当人も気にしない程度のものなのかもしれない。
でも、作るというのは、作り手だけが気づく「もわっとした見えなさ」への立ち止まりと対応の積み重ねなのだと思う。
「現実」を重ねていけばアートとしての強度が出るような場合でも、そこにいるのは無生物ではなくて生きている人間である以上、アートのためにやっていいことと悪いことの判断を立ち止まって考えたいと思う。
最近、国を超えて「表現の自由」が問題になる事例が続いている。
ある意味で「表現の自由」が成熟を迎えたと考えてみれば、ここのところの「表現の自由」の問題は、次の課題が見え始めた時期を告げているのかもしれないし、平和からやってくる感性の退化を顕在化させているだけなのかもしれない。
----
ひとりのアーティストが亡くなった。
2010年にYCAMに滞在した時に、完成直前の作品を拝見してお話を聞かせていただいたことがある。
言葉の端々に、繊細に相手を思いやってくださる温かさがあった。
当時、こんなにダイナミックに物と社会と己をつないで作る作家に、私はなれそうにもないと感じたのを覚えている。
私には持ち得ない大きな大きな力を感じて、そのことを時折、思い出すことがあった。
女性だったからだろうか。
変な言い方だけれど、
あの頃ひとりぼっちで足元がふにゃふにゃした心もとない感覚で生きていた私にとって、アーティストとしてという以前の、人間の魅力に癒されたのだと思う。
なんだろう、大きかったなぁ。
メディアアートという「分野」なんて存在しないような立ち方をされていた。
そして、そういう真に越境した活動の仕方が、まだまだ珍しい分野でもある。
いつまでも尊敬していくんだろうな。
人が亡くなるたびに、そして自分の体も痛みに落ちこむたびに、
命は一枚のドアを隔てて見えたり見えなかったりする世界で生きているのかな、と思うことが多くなった。
そんな悲しみともつかない心持ちで今年は貴船に参ったので、家族と友人の平安を祈った。
貴船は雪でまっしろで、空気が冷たくて、いい気持ちだった。
とっくに。
年末からノンストップの忙しさに突入したまま、新年がどうのという心はまったくもてなかったのであけましておめでとうも言い忘れたままです。
広島、名古屋、京都と移動しつつ制作もしつつ、やっと東京に戻ってきた。
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作品を作っていく過程で、ひとつ 歩を進めるたびに、自分への問いが増える。
コンセプチュアルアートは、「現実」を扱うことをルールのようにしている 面があるのかもしれないが、その「現実を扱う」という規範のようなもののために、他者の生々しい権利を無視しても良い、というふうに自分を納得させていないだろうか?と一歩一歩のすべてで思っている。
おそらく、私が立ち止まっている「他者の生々しい権利」なんて、他者である当人も気にしない程度のものなのかもしれない。
でも、作るというのは、作り手だけが気づく「もわっとした見えなさ」への立ち止まりと対応の積み重ねなのだと思う。
「現実」を重ねていけばアートとしての強度が出るような場合でも、そこにいるのは無生物ではなくて生きている人間である以上、アートのためにやっていいことと悪いことの判断を立ち止まって考えたいと思う。
最近、国を超えて「表現の自由」が問題になる事例が続いている。
ある意味で「表現の自由」が成熟を迎えたと考えてみれば、ここのところの「表現の自由」の問題は、次の課題が見え始めた時期を告げているのかもしれないし、平和からやってくる感性の退化を顕在化させているだけなのかもしれない。
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ひとりのアーティストが亡くなった。
2010年にYCAMに滞在した時に、完成直前の作品を拝見してお話を聞かせていただいたことがある。
言葉の端々に、繊細に相手を思いやってくださる温かさがあった。
当時、こんなにダイナミックに物と社会と己をつないで作る作家に、私はなれそうにもないと感じたのを覚えている。
私には持ち得ない大きな大きな力を感じて、そのことを時折、思い出すことがあった。
女性だったからだろうか。
変な言い方だけれど、
あの頃ひとりぼっちで足元がふにゃふにゃした心もとない感覚で生きていた私にとって、アーティストとしてという以前の、人間の魅力に癒されたのだと思う。
なんだろう、大きかったなぁ。
メディアアートという「分野」なんて存在しないような立ち方をされていた。
そして、そういう真に越境した活動の仕方が、まだまだ珍しい分野でもある。
いつまでも尊敬していくんだろうな。
人が亡くなるたびに、そして自分の体も痛みに落ちこむたびに、
命は一枚のドアを隔てて見えたり見えなかったりする世界で生きているのかな、と思うことが多くなった。
そんな悲しみともつかない心持ちで今年は貴船に参ったので、家族と友人の平安を祈った。
貴船は雪でまっしろで、空気が冷たくて、いい気持ちだった。
2014/12/08
8. Art performance and Drama performance
8.
先日、ある作品を見たことをきっかけにして、以前からなんとなしに気になっている「美術」と「その他」のパフォーマンスの違いについてきちんと整理しようと思ってはいる。
最初にこれらを区別する必要を感じたのは、教えるためだった。
一応、ファインアートのコースで教えているんだなーというのを意識し始めた時に、迂闊になんでもかんでもやればいい的に教えるのは大学としてどうなんだろう?と問いはじめたのだった。
コンセプトを中心にしたアートのパフォーマンスと、ドラマのあるパフォーマンスでは、構造も訓練の仕方も異なる。
もちろん、それらをミックスしたり越境したりすることはできる。
が、ぼんやりと無意識に越境するばかりでは、やがて個的な思考に降りていく作業は難しくなる。
そこで、それぞれのパフォーマンスについて、平面的/リニアなアートの構造と立体的/ノンリニアなドラマの構造に分けて考えていきたい。
が、今日はこれまで。
あまり体調がいいとはいえず、1日の半分以上はベッドのなかだ。
午後に起き上がって、深夜までは元気だが、明け方からまた痛みやら咳やら気持ち悪さやらとつきあっている。
そんななので、小出しでしか書けそうにない。
続きは、「8」でナンバリングしていきます。
先日、ある作品を見たことをきっかけにして、以前からなんとなしに気になっている「美術」と「その他」のパフォーマンスの違いについてきちんと整理しようと思ってはいる。
最初にこれらを区別する必要を感じたのは、教えるためだった。
一応、ファインアートのコースで教えているんだなーというのを意識し始めた時に、迂闊になんでもかんでもやればいい的に教えるのは大学としてどうなんだろう?と問いはじめたのだった。
コンセプトを中心にしたアートのパフォーマンスと、ドラマのあるパフォーマンスでは、構造も訓練の仕方も異なる。
もちろん、それらをミックスしたり越境したりすることはできる。
が、ぼんやりと無意識に越境するばかりでは、やがて個的な思考に降りていく作業は難しくなる。
そこで、それぞれのパフォーマンスについて、平面的/リニアなアートの構造と立体的/ノンリニアなドラマの構造に分けて考えていきたい。
が、今日はこれまで。
あまり体調がいいとはいえず、1日の半分以上はベッドのなかだ。
午後に起き上がって、深夜までは元気だが、明け方からまた痛みやら咳やら気持ち悪さやらとつきあっている。
そんななので、小出しでしか書けそうにない。
続きは、「8」でナンバリングしていきます。
2014/09/21
あたらしい歴史って、どれのことだろ?
次の対話が始まろうとしている。
ふたつ。
だからこそ、体を徹底的に整え直さないと。
にしても、代謝をあげるって難しい。
スコットランドの独立問題を、そんなに追ってたわけではないのだけれど、
「あたらしい歴史をスタートする」って、難しいことだなとおもう。
「独立」が新しい歴史なのではなく、どんなに長い時間をイギリスに従属しても、独立を意識し続けるというのが人間なんだなとおもって。
イギリスに属し始めて現在に至までの「あたらしい歴史」よりも、自分は経験していないが、自分の民族が経験した古い時代のことを意識し続ける。
これは、たくさんの国で起こっていることだ。
もちろん、現実はそんなに甘い言葉で括れず、海域による利益だとかいろいろあるんだろう。
そんなことをつらつらぼんやり考えているときに、緒方貞子さんのインタビューを読んだ。このひと、人間の様々な靄をのみこみつつ、まっとうなことをすっきり言葉にしてくれる。
こういうふうな態度や在り方が当然になるように、、、も日々の運動のように蓄積するしかないのぅ。
ふたつ。
だからこそ、体を徹底的に整え直さないと。
にしても、代謝をあげるって難しい。
スコットランドの独立問題を、そんなに追ってたわけではないのだけれど、
「あたらしい歴史をスタートする」って、難しいことだなとおもう。
「独立」が新しい歴史なのではなく、どんなに長い時間をイギリスに従属しても、独立を意識し続けるというのが人間なんだなとおもって。
イギリスに属し始めて現在に至までの「あたらしい歴史」よりも、自分は経験していないが、自分の民族が経験した古い時代のことを意識し続ける。
これは、たくさんの国で起こっていることだ。
もちろん、現実はそんなに甘い言葉で括れず、海域による利益だとかいろいろあるんだろう。
そんなことをつらつらぼんやり考えているときに、緒方貞子さんのインタビューを読んだ。このひと、人間の様々な靄をのみこみつつ、まっとうなことをすっきり言葉にしてくれる。
こういうふうな態度や在り方が当然になるように、、、も日々の運動のように蓄積するしかないのぅ。
2014/09/02
「非社会的なエロスで無ければ耐えられない」を見つめるということ
0.
友人の展覧会に行って、そのあと友人の友人達も交えて呑んで帰って、明け方から咳が酷くて、いちにち疲労で起き上がれない日があった。
季節の変わり目だなぁ。
寒くなるに従って、午前中は咳の疲労で動けなくなる日が増える。
それでも、すこしづつ、すこしづつ整え直していて、一年前よりずっとマシだし、三年前よりかなりマシになりつつある。
もう何ヶ月も脳貧血を出していないのだから、それだけでも本当にすばらしい。
3.3
わたしが、ひとりで外を歩いても、冷や汗もかかず動悸もしなくなったのは、ここ10年のことだ。
女性専用車両で泣き叫んだ人に対して、「他では平気に生活しているんじゃないの?男性差別だ。」と言う意見があるけれど、そういう問題じゃないんじゃないの、と思ったりする。
ある特定の場所がある特定の記憶を引き起こし、生きにくくさせることがある。
女性専用車両というのは、痴漢を未然に防ぐという意味もあれば、過去の被害から身を守るという意味もあるだろう、今回の女性のことは知らないけれども。
TEDで社会学者が語ったという「ポルノが与える社会的な死」についての記事がある。
TEDらしく、特にあたらしいことが語られているわけでもなく、本当に不味いものは落として語っている「きれいな話」の範疇なのだけれども、それでもこの程度のことさえも、世の中でははじめて知ったことのように語られなければならないんだものね。
彼の言うように、ポルノのカテゴリーをネット上で調べてみたら、性のファンタジーがどうしてこうも支配すること/されることに依っているのか、混乱するほどだ。
わたしは、この世界からポルノが強制的に無くなればいいとは思わないし、出来るとは思わないし、ポルノは原子爆弾と違って無くなるとそれはそれで寂しいものかもしれない。でも、理想を語る時には、いつでも「一番の理想」を声にした方がいいと思っていて、それで言うと、道具や動物みたいな典型的かつ暴力的なポルノより、現実の人間的な知恵も体温もあるエロスのほうがいいですよね。
愛があると錯覚できるならなおさら。断然。
でも、本当の問題は、「現実の人間的な知恵のあるエロス」より「非社会的なエロスで無ければ耐えられない」という個の人生に、社会はどうつきあうのか?っていうことです。
TEDの人の理想は、全部を引き受けた理想じゃないとおもうんだ。
世間的には許されない欲求があったとして、それを内々で発散させて抑えこむ力が「疑似経験」や「想像力」なのだ、ということは実際にあるとおもう。
でも、同時に「定型化」された性の欲求を、幾度も表現として刷り込まれることによって、それが「自分の欲求である」、或は「それを社会も暗黙的に許可している」という感覚を芽生えさせてしまうことも事実だと思っている。
表現の効果には、ふたつ以上ある。常に。
そして、だからこそ、分けて対処することは少しはできる。
幼児性愛や猟奇的な事件を描いた漫画やアニメを「表現の自由」だと安易に擁護するのは、人間の自己コントロール能力を信頼しすぎだし、それら周辺的な性の欲求と社会の仕組みをアートだと言って提示するのも、最早、効力のあることとは言えない。
毎日、きついニュースが多すぎるのは、まったく「表現の自由」のもとに流通している表現との因果関係がないとは、到底思えない。
痴漢をすることや、子どもを性の対象にすること、弱いものを拉致して監禁すること、自分好みに支配すること、そして殺人すること、そういった物語が反乱すれば、本来はそれらの欲求を顕在化させなくてもいい人までも「簡単に集中的に脳を染める」という、この現実ならば、少しは社会として向き合う余地もあるような気がする。
---
生来的に手放せない性癖と、不用意に育ってしまう欲求とは、社会としてはきちんと分けて対処を考えてほしい。
それが、理想。
こんなに簡単に侮辱的な表現や、子どもを性的な対象にしたポルノが手に入ってはいけない。どうしても必要な人が、いくつかのハードルを超えてやっと手に入れるぐらいにしてほしい。
暴力の対象として選ばれたことが無ければ、どうしてそれが問題なのか、辛いのか、人心を殺すのか、人間にはわからないんだなぁと実感することは日常の中で少なくなくて、口を閉ざしながら途方に暮れる。
公衆の面前で泣いて声をあげなければならないほどに、ネットに「善人の裏の顔」を書き込まなければならないほどに死んだ心を抱えて生きていくことを、多くの人は経験しなくてもいいはずだもの。
友人の展覧会に行って、そのあと友人の友人達も交えて呑んで帰って、明け方から咳が酷くて、いちにち疲労で起き上がれない日があった。
季節の変わり目だなぁ。
寒くなるに従って、午前中は咳の疲労で動けなくなる日が増える。
それでも、すこしづつ、すこしづつ整え直していて、一年前よりずっとマシだし、三年前よりかなりマシになりつつある。
もう何ヶ月も脳貧血を出していないのだから、それだけでも本当にすばらしい。
3.3
わたしが、ひとりで外を歩いても、冷や汗もかかず動悸もしなくなったのは、ここ10年のことだ。
女性専用車両で泣き叫んだ人に対して、「他では平気に生活しているんじゃないの?男性差別だ。」と言う意見があるけれど、そういう問題じゃないんじゃないの、と思ったりする。
ある特定の場所がある特定の記憶を引き起こし、生きにくくさせることがある。
女性専用車両というのは、痴漢を未然に防ぐという意味もあれば、過去の被害から身を守るという意味もあるだろう、今回の女性のことは知らないけれども。
TEDで社会学者が語ったという「ポルノが与える社会的な死」についての記事がある。
TEDらしく、特にあたらしいことが語られているわけでもなく、本当に不味いものは落として語っている「きれいな話」の範疇なのだけれども、それでもこの程度のことさえも、世の中でははじめて知ったことのように語られなければならないんだものね。
彼の言うように、ポルノのカテゴリーをネット上で調べてみたら、性のファンタジーがどうしてこうも支配すること/されることに依っているのか、混乱するほどだ。
わたしは、この世界からポルノが強制的に無くなればいいとは思わないし、出来るとは思わないし、ポルノは原子爆弾と違って無くなるとそれはそれで寂しいものかもしれない。でも、理想を語る時には、いつでも「一番の理想」を声にした方がいいと思っていて、それで言うと、道具や動物みたいな典型的かつ暴力的なポルノより、現実の人間的な知恵も体温もあるエロスのほうがいいですよね。
愛があると錯覚できるならなおさら。断然。
でも、本当の問題は、「現実の人間的な知恵のあるエロス」より「非社会的なエロスで無ければ耐えられない」という個の人生に、社会はどうつきあうのか?っていうことです。
TEDの人の理想は、全部を引き受けた理想じゃないとおもうんだ。
世間的には許されない欲求があったとして、それを内々で発散させて抑えこむ力が「疑似経験」や「想像力」なのだ、ということは実際にあるとおもう。
でも、同時に「定型化」された性の欲求を、幾度も表現として刷り込まれることによって、それが「自分の欲求である」、或は「それを社会も暗黙的に許可している」という感覚を芽生えさせてしまうことも事実だと思っている。
表現の効果には、ふたつ以上ある。常に。
そして、だからこそ、分けて対処することは少しはできる。
幼児性愛や猟奇的な事件を描いた漫画やアニメを「表現の自由」だと安易に擁護するのは、人間の自己コントロール能力を信頼しすぎだし、それら周辺的な性の欲求と社会の仕組みをアートだと言って提示するのも、最早、効力のあることとは言えない。
毎日、きついニュースが多すぎるのは、まったく「表現の自由」のもとに流通している表現との因果関係がないとは、到底思えない。
痴漢をすることや、子どもを性の対象にすること、弱いものを拉致して監禁すること、自分好みに支配すること、そして殺人すること、そういった物語が反乱すれば、本来はそれらの欲求を顕在化させなくてもいい人までも「簡単に集中的に脳を染める」という、この現実ならば、少しは社会として向き合う余地もあるような気がする。
---
生来的に手放せない性癖と、不用意に育ってしまう欲求とは、社会としてはきちんと分けて対処を考えてほしい。
それが、理想。
こんなに簡単に侮辱的な表現や、子どもを性的な対象にしたポルノが手に入ってはいけない。どうしても必要な人が、いくつかのハードルを超えてやっと手に入れるぐらいにしてほしい。
暴力の対象として選ばれたことが無ければ、どうしてそれが問題なのか、辛いのか、人心を殺すのか、人間にはわからないんだなぁと実感することは日常の中で少なくなくて、口を閉ざしながら途方に暮れる。
公衆の面前で泣いて声をあげなければならないほどに、ネットに「善人の裏の顔」を書き込まなければならないほどに死んだ心を抱えて生きていくことを、多くの人は経験しなくてもいいはずだもの。
2014/08/26
「これっぽっち」のバリエーション
0.
先週はパーティや呑み続きで、料理ばっかりしていた気がする。
初めて一人暮らしをはじめた時は、やっぱり名前のついている料理しか作れなかったし、そもそも料理といって思いつくものは自宅で食べていたものだから、なにもかもが今思えば手が込んでいるか、もしくは大げさだった。
ステーキとか、茶碗蒸しとか、、、、。
そのころによく作っていたもので、「鮭の南蛮漬け」がある。
ふと食べたくなった「鮭南蛮」をアーティスト友たちとのパーティに用意し、「夏野菜の冷やし煮鉢」と「鶏肉のレモンハーブ蒸し」を作ったところで、京都の直己はんがパーティに行くわーと連絡してきたので、あとは魔女に任せることにした。
魔女料理最高。
このために新幹線でふらりである。
人の料理は、どこか気持ちが重たかったりもする。
でも、直己はんに限っては重たさがまったくなくて、呑みながらふらりふらりと作ってくれる。
週が開けてからは、ハーブをたっぷり入れた肉と豆腐の種を使って、野菜の肉詰めで日々を乗り切っている。
3.2
理解の範疇を超えた犯罪が起こるとき、「異常性愛」がクローズアップされることがある。調べると、多様な性の嗜好があるなぁとも思うし、これっぽっちか、とも思う。
もっと言うと、何に欲情するのか?は本当はグレーの移ろいのように「これ」と取り上げがたい個性そのものに思えるのに、「性のファンタジー」にまで落とし込まれた段階になると、「これっぽっち」のバリエーションになる。
人間は確かに心に闇を持っているし、その闇の多くは、その人の心の中にある「個性的な性の難しさ」と、生来的にも事後的にも、容易に繋がる。
でも、今回の事件はやっぱり、どこかそんな手に負えないようなものではなくて、うまく逃がすこともできた欲求のように見えてくる、だから重たい気持ちになるのかな。
6.2
パーティの翌日は、舞台関係の人たちとのごはん。
といってもその半分は、はじめましてで、不思議な会だった。
いろいろなトピックが出たけれど、 「プロとしての軸」は、キャリアの中で幾度か更新されていくんだろうなぁと、聞いていた。
プライドや拘りがあるのは当然のこととして、全員が一人で自分の看板を掲げて「共同作業」の現場に居るのが、舞台の仕事だ。
若い舞台美術家は、信頼云々は結果論でしか持ちだしてはいけないとおもう、と言って目が覚めるようにカッコよかったし、わたしの知人の"うまくできなかった仕事の話"には「更新する」ことの複雑さを考えさせてくれる。
仕事のなかには、どうしても避けては通れない辛いことが起こることがある。
全力をつくし、プライドをかけ、だからこそ、開かれるはずだった居場所が閉ざされることがある。
他人のそういった話からは、「あなたには必ず本来の実力を提示し直すチャンスが訪れますよ」ということが客観的に見えてくるけれど、当事者であれば、それ以来抱えている虚無のほうが目立って実感を与える。
けれども、最初から仕事に捕われている人間というのは、仕事によって回復する。
そして仕事は、人が人を許してビールに誘い合うような時間に支えられている。
7.
一冊、「移民する本」に関連して読みたい本があるのだけれど、一応学術書らしくって7000円もして、国会図書館にしかおいてなくて、
こういう時に、予算を自分で持っていないと厳しいなーとおもう。
でも、学術書というのもバカ売れしたりしない割に手間隙かかってるのだから、7000円は妥当なのだ。
わたしは学術書を読むことはあるけれど、それは回答では無い。
猛暑が数日は収まるようだ。
広島は大変なことになっている。
回答の無いことに、何度でも向き合わされるものですなーい、夏の宿題でもあるまいに。
先週はパーティや呑み続きで、料理ばっかりしていた気がする。
初めて一人暮らしをはじめた時は、やっぱり名前のついている料理しか作れなかったし、そもそも料理といって思いつくものは自宅で食べていたものだから、なにもかもが今思えば手が込んでいるか、もしくは大げさだった。
ステーキとか、茶碗蒸しとか、、、、。
そのころによく作っていたもので、「鮭の南蛮漬け」がある。
ふと食べたくなった「鮭南蛮」をアーティスト友たちとのパーティに用意し、「夏野菜の冷やし煮鉢」と「鶏肉のレモンハーブ蒸し」を作ったところで、京都の直己はんがパーティに行くわーと連絡してきたので、あとは魔女に任せることにした。
魔女料理最高。
このために新幹線でふらりである。
人の料理は、どこか気持ちが重たかったりもする。
でも、直己はんに限っては重たさがまったくなくて、呑みながらふらりふらりと作ってくれる。
週が開けてからは、ハーブをたっぷり入れた肉と豆腐の種を使って、野菜の肉詰めで日々を乗り切っている。
3.2
理解の範疇を超えた犯罪が起こるとき、「異常性愛」がクローズアップされることがある。調べると、多様な性の嗜好があるなぁとも思うし、これっぽっちか、とも思う。
もっと言うと、何に欲情するのか?は本当はグレーの移ろいのように「これ」と取り上げがたい個性そのものに思えるのに、「性のファンタジー」にまで落とし込まれた段階になると、「これっぽっち」のバリエーションになる。
人間は確かに心に闇を持っているし、その闇の多くは、その人の心の中にある「個性的な性の難しさ」と、生来的にも事後的にも、容易に繋がる。
でも、今回の事件はやっぱり、どこかそんな手に負えないようなものではなくて、うまく逃がすこともできた欲求のように見えてくる、だから重たい気持ちになるのかな。
6.2
パーティの翌日は、舞台関係の人たちとのごはん。
といってもその半分は、はじめましてで、不思議な会だった。
いろいろなトピックが出たけれど、 「プロとしての軸」は、キャリアの中で幾度か更新されていくんだろうなぁと、聞いていた。
プライドや拘りがあるのは当然のこととして、全員が一人で自分の看板を掲げて「共同作業」の現場に居るのが、舞台の仕事だ。
若い舞台美術家は、信頼云々は結果論でしか持ちだしてはいけないとおもう、と言って目が覚めるようにカッコよかったし、わたしの知人の"うまくできなかった仕事の話"には「更新する」ことの複雑さを考えさせてくれる。
仕事のなかには、どうしても避けては通れない辛いことが起こることがある。
全力をつくし、プライドをかけ、だからこそ、開かれるはずだった居場所が閉ざされることがある。
他人のそういった話からは、「あなたには必ず本来の実力を提示し直すチャンスが訪れますよ」ということが客観的に見えてくるけれど、当事者であれば、それ以来抱えている虚無のほうが目立って実感を与える。
けれども、最初から仕事に捕われている人間というのは、仕事によって回復する。
そして仕事は、人が人を許してビールに誘い合うような時間に支えられている。
7.
一冊、「移民する本」に関連して読みたい本があるのだけれど、一応学術書らしくって7000円もして、国会図書館にしかおいてなくて、
こういう時に、予算を自分で持っていないと厳しいなーとおもう。
でも、学術書というのもバカ売れしたりしない割に手間隙かかってるのだから、7000円は妥当なのだ。
わたしは学術書を読むことはあるけれど、それは回答では無い。
猛暑が数日は収まるようだ。
広島は大変なことになっている。
回答の無いことに、何度でも向き合わされるものですなーい、夏の宿題でもあるまいに。
2014/08/12
初期条件の作る緊張
0.
とにかく忙しく、作りおきの料理で日々を過ごした。
全部なくなった。
昨夜、どうにも手がまわらずにスーパーで買った寿司を食べたら、明け方に喘息。
数日続けて素麺を食べて発疹を出したばかりなので、気をつけねばのーとは思っていたのだけれど。
ある意味、見事なまでの反応っぷりに感心する。
6.
友人に会うと、なんでそんなにアートに拘りがあるのか?と聞いてくる。
生まれて来る時に持っていた初期条件のようなものでしかないんだろうけれど、確かに、作らないで生きるというのがよくわからないし、作ることのなかには怒りも悲しみも関係のない状況がある。
アートを通して考えることを、気がつくとやってる。
30年やめていても戻れるのが「世間的なアート」であり、いいところだとも思う。
でも、30年考えなかったことは30年後には存在しない。
30年の間の日常ではどんなことがあろうとも、アートを通して変わらずに考え続けたこと、そういうものがわたしにとってはアートなんだろうな、とおもう。
技術とは不思議なもので、15歳の時に描いたようなデッサンを、わたしにはもう描くことはできないだろう。描かないのだから技術は落ちる。
でも、どんな時にもやめなかったことを使ってならば、そのやめなかったことが、いつしかデッサンの役割も担い、最終的には元来のデッサンに別の技術を持ち込む。
そういうところは、生きていればこその実感であり、かけがえのないおもしろさだ。
4.2
ところで、もしも、昔の少女漫画のように「記憶喪失」になったらどうだろう?
いま、わたしが記憶喪失になったら、15年考えてきたことや、その考えてきたことに引っ付いたり、まとわりついたりしている訳の分からない妙な思考と、それらが支えている「私」はどうなってしまうのだろう?
おそらく、ほんとうに忘れちゃうだけなんだろうな。
どんなに強い拘りをもたらす初期条件であっても、消える。
犬の病的な拘りは、緊張状態の現れで、リラックスすることを覚えれば犬は変わる。(とカリスマが言ってた。)
漫画みたいにアートを通して記憶が戻るなんてことは無いような気がする。
脳科学ではどうなのかという問題ではなくて、
揺るんだ記憶は緩んだ記憶のままだろう。
いい悪いじゃなく、緩んだ時から別の時間が流れ始め、かつて拘りと愛を傾けた対象は別の様相を呈して見えてくる。
それに、死にはストーリーがないのだから。
ただ、消える。
だからこそ、おそらく人間は作る。
作る先から「保証」の消えて行く生を積み上げて緊張状態を保とうとする。
そのエネルギーの消費をわたしは制作で行うけれど、
子どもで、他人で、主張で、評価で、
使いきろうとする人もいる。
なにもいらないなぁ、と、やっぱり今日もおもう。
意地悪やいたずらに満ちたものに見つからず、静かにか死ねたら、それでいいなぁという想いの夏が一日一日重なっている。
いつか、どのような濁も怖がらない自分がもう一度現れることがあるならば、それは強くて頼もしいだろうけれど、その時には一体何を失っているのだろう?
2014/08/06
あたらしいの。
0.
砂肝のオイルコンフィとインゲンのおかか和えと、山椒むすびという常備菜セットを作った。暑くて、おむすびを握ってると、状況すべてにムカっとくるほど辛いのだけれど冷凍するならおむすびだな、と最近は決定している。
えー、今更だけれども。
食べにくいものは嫌いなのかも.....。
はるさめサラダを先日つくってみたら、どことなく食べにくい。
麺のくせにすすれないし、でも長いし。
その鬱陶しさにとってかわるだけの、うれしいところがない。
よって、おそらくもう作らない。
税務署に行くはずが、あまりにも暑いので引きこもって制作していた。
役所は、夏は、夕方から明け方にかけて開けばいいのに。
先日、そうやって完成したのを持ってEとの打ち合わせにいくと、計らずもフランスや韓国のダンサーたちとのご飯となった。
その短い出会いのなかにでさえ、動きや時間についての哲学を話すことができるし、死についての告白があるし、
わたしは、この袖触れ合うだけの接触はいつでもすきだ。
5.
そうやって、Eと某プロジェクトのすりあわせ。
英語でのやりとりが、なんとなく無駄をそいでくれる気がする。
「移民する本」もこれからだし、去年の秋から準備を重ねた二件がこうして躍動しはじめていて、それらを支えるための基盤造りも改めて動き始めた。
「移民する本」をやって、自分はアートに関しては徹底的に大丈夫なんだなぁ、とおもってる。
いろんな作品を作ってきて、ようやく自分は「どんなアプローチを取ることもできる」ことがわかったからだけれど、ここでの「できる」というのは、なにをやったって、アプローチの先に見たいものは病的なまでにはっきりとしている、という呆れでしかないにせよ。
どこを通ったって、どんなメディアを使ったって、見たいものが同じで、でも飽きないのは「見たいもののほう」が進化してるからだ。
ほんの一年前までは、作品ひとつひとつが持っている段階は、それぞれ異なるフェーズだった。
これまで常に悩ましかったのは、「深める」という感触が掴めなかったことだ。
ひとつやっては切断し、あたらしいひとつをやる、そんな感じだった。
作品を作るたびに、場所を変えて潜ることはできるけれど、それぞれは個別のそれぞれである、のように感じていた。
これは制作の現実的な問題に通じていて、音や映像を主体にして世界を見聞きしようとすれば、圧倒的に感覚優位のアプローチが出来ない者が作る意味はないとおもう。
けれど、コンセプチュアルな思考にとっての「深める」は、必ずしも感覚の脅威を発見することではないというか、結果的にはそれが無いと厳しいんだけれども、
感覚が無い場合にも世界は存在して作り替えられている、
ということの方により大きな責任を引き受けている、とおもう。
そこのところが、ずっと難しかった。
コラージュや絵画ならば、自分自身と拮抗して深めていくことができるけれど、そうではない行為をどうやって「深める」のか、、、。
それが、15年やってきてはじめて、前の10年とか前の5年とか前の3年に発見した段階を使って次に進む、というのを経験し始めているのかも、と、ふと夕方に思った。
砂肝のオイルコンフィとインゲンのおかか和えと、山椒むすびという常備菜セットを作った。暑くて、おむすびを握ってると、状況すべてにムカっとくるほど辛いのだけれど冷凍するならおむすびだな、と最近は決定している。
えー、今更だけれども。
食べにくいものは嫌いなのかも.....。
はるさめサラダを先日つくってみたら、どことなく食べにくい。
麺のくせにすすれないし、でも長いし。
その鬱陶しさにとってかわるだけの、うれしいところがない。
よって、おそらくもう作らない。
税務署に行くはずが、あまりにも暑いので引きこもって制作していた。
役所は、夏は、夕方から明け方にかけて開けばいいのに。
先日、そうやって完成したのを持ってEとの打ち合わせにいくと、計らずもフランスや韓国のダンサーたちとのご飯となった。
その短い出会いのなかにでさえ、動きや時間についての哲学を話すことができるし、死についての告白があるし、
わたしは、この袖触れ合うだけの接触はいつでもすきだ。
5.
そうやって、Eと某プロジェクトのすりあわせ。
英語でのやりとりが、なんとなく無駄をそいでくれる気がする。
「移民する本」もこれからだし、去年の秋から準備を重ねた二件がこうして躍動しはじめていて、それらを支えるための基盤造りも改めて動き始めた。
「移民する本」をやって、自分はアートに関しては徹底的に大丈夫なんだなぁ、とおもってる。
いろんな作品を作ってきて、ようやく自分は「どんなアプローチを取ることもできる」ことがわかったからだけれど、ここでの「できる」というのは、なにをやったって、アプローチの先に見たいものは病的なまでにはっきりとしている、という呆れでしかないにせよ。
どこを通ったって、どんなメディアを使ったって、見たいものが同じで、でも飽きないのは「見たいもののほう」が進化してるからだ。
ほんの一年前までは、作品ひとつひとつが持っている段階は、それぞれ異なるフェーズだった。
これまで常に悩ましかったのは、「深める」という感触が掴めなかったことだ。
ひとつやっては切断し、あたらしいひとつをやる、そんな感じだった。
作品を作るたびに、場所を変えて潜ることはできるけれど、それぞれは個別のそれぞれである、のように感じていた。
これは制作の現実的な問題に通じていて、音や映像を主体にして世界を見聞きしようとすれば、圧倒的に感覚優位のアプローチが出来ない者が作る意味はないとおもう。
けれど、コンセプチュアルな思考にとっての「深める」は、必ずしも感覚の脅威を発見することではないというか、結果的にはそれが無いと厳しいんだけれども、
感覚が無い場合にも世界は存在して作り替えられている、
ということの方により大きな責任を引き受けている、とおもう。
そこのところが、ずっと難しかった。
コラージュや絵画ならば、自分自身と拮抗して深めていくことができるけれど、そうではない行為をどうやって「深める」のか、、、。
それが、15年やってきてはじめて、前の10年とか前の5年とか前の3年に発見した段階を使って次に進む、というのを経験し始めているのかも、と、ふと夕方に思った。
2014/08/04
人間に心があることの強烈さと、犬の記憶
0.
18時には制作を切り上げて買い物に行くか事務仕事をするはずだったのに、気がついたら1時だ。
昨日からずっと作業だったので、腱鞘炎っぽくなっているし、目がかすんでいる。
なんで、ひとつのことしか出来ないんだろう?
同時に5件くらいやらないと、この夏が回らない。
今日は、買い物に行くのも嫌で、なすびのクミン味噌煮と、はるさめサラダと、干ししいたけのレンコン粉スープでのりきった。
それから、キュウリとカルダモンのフレーバーウォーターが、割といいです。
3.1
佐世保の事件のことを、どうしても考えてしまう。
殺された子とその家族のこと、どう想像することもできない。
殺した子のこと、その家族のことを思うと、人間に心があることの強烈さが、わたしの中にも浮かび上がる。
生や死をコントロールしたり、人間のこころの闇を他者から引き出して嘲笑したりする、そういった神様のまねごとをせずにはおられない人がいる。
あるいは、どの瞬間、どの人物にも、そういった「神になる」欲求はある。
ただ、そちらに倒れるかどうか、倒れさせないかどうか、
そこは、群れとしてのコミュニティに力を発揮する余地が僅かであっても存在する。
生きるのはむずかしいんだなぁと。
ただ、そこに生きているものがいるということが、そもそも強烈なんだ。
4
huluで、カリスマドッグトレーナーの番組を見た。
「カリスマドッグトレーナー」って、それだけでうさん臭いが、この人の顔や体のむちむちした感じが、犬っぽくてドキドキする。
「カリスマドッグトレーナー」は犬の記憶を操作する。
犬は過去を忘れることができる点で、人間より進化していると言っていた。
18時には制作を切り上げて買い物に行くか事務仕事をするはずだったのに、気がついたら1時だ。
昨日からずっと作業だったので、腱鞘炎っぽくなっているし、目がかすんでいる。
なんで、ひとつのことしか出来ないんだろう?
同時に5件くらいやらないと、この夏が回らない。
今日は、買い物に行くのも嫌で、なすびのクミン味噌煮と、はるさめサラダと、干ししいたけのレンコン粉スープでのりきった。
それから、キュウリとカルダモンのフレーバーウォーターが、割といいです。
3.1
佐世保の事件のことを、どうしても考えてしまう。
殺された子とその家族のこと、どう想像することもできない。
殺した子のこと、その家族のことを思うと、人間に心があることの強烈さが、わたしの中にも浮かび上がる。
生や死をコントロールしたり、人間のこころの闇を他者から引き出して嘲笑したりする、そういった神様のまねごとをせずにはおられない人がいる。
あるいは、どの瞬間、どの人物にも、そういった「神になる」欲求はある。
ただ、そちらに倒れるかどうか、倒れさせないかどうか、
そこは、群れとしてのコミュニティに力を発揮する余地が僅かであっても存在する。
生きるのはむずかしいんだなぁと。
ただ、そこに生きているものがいるということが、そもそも強烈なんだ。
4
huluで、カリスマドッグトレーナーの番組を見た。
「カリスマドッグトレーナー」って、それだけでうさん臭いが、この人の顔や体のむちむちした感じが、犬っぽくてドキドキする。
「カリスマドッグトレーナー」は犬の記憶を操作する。
犬は過去を忘れることができる点で、人間より進化していると言っていた。
2014/08/01
1の続きと、「道徳や倫理は自分と他者を合理的に守る」について。
0.
今日は、朝も夜も鯵南蛮。
母が送ってきた自家製らっきょうの甘酢が残っていたので、それに漬け込んだ。
甘くて冷たくておいしかった。
おいしかったけど、昨夜、三枚におろして骨を取り除いて作った鯵南蛮がもう無くなった。
はるさめサラダも無くなった。
おとといの常備菜「ゴーヤチャンプルー」も無くなった。
むなし。
1.1
調理をしていると祖母と祖母の家を思い出す、の続きだけれども。
祖母は広島の市街地に住んでいた。
百メーター道路(平和大通り)や本通のすぐ近くの三川町に、小さな家があった。
一階の道路に面した土間は、私が小さいときは花屋に貸し出していて、おばあちゃんちに行くときは、花屋の中を通って家に入っていった記憶がある。
その奥にリビングらしきものと風呂と台所とトイレがあり、二階に上がると二間の和室と納戸のようなものがあった。
昔の造りなので、二階には二部屋しかないにも関わらず、つやつやした柱の大きな床の間っぽいスペースがあり、欄間があっただろうと思うし、膝丈くらいの窓からはすぐ下の路面が見下ろせる。
台所は、東京のわたしのアパートよりはマシだろうけれども、かなり狭かった。
でも、そこから見事な料理がいくつもいくつも出てくる。
晴れがましい料理も思い浮かぶけれど、一番記憶にあるのは益子焼きのココットで焼き上げる卵焼きとか、板酒粕に砂糖をいっぱいまぶしてトースターで焼くやつ。
これらは、ひとりで泊まりにいくと朝食に出てきた。
日曜の朝、和室に並べた布団の中から、おばあちゃんと一緒に「兼高かおるの世界の旅」を見る。窓からは日差しが差し込んでいて、見上げる鴨居だか欄間だか長押しだかには会ったことの無いおじいさんの遺影と能面があり、少し頭を傾けると木の形をした台の上の黒電話が見える。
おばあちゃんは明治の人なので「パンヅ」を履いていない。
朝起きると、兄と一緒におばあちゃんの寝間着を覗いては、「パンツ履いてないー!」と笑い転げる。
たっぷり遅くまでゴロゴロしたら、一階に起きて朝食になる。
自分の家での大皿料理と違って明治の人の食事は、どの料理も一人分が銘々によそわれている。
通りを出ると、昼過ぎには「よそ行き」の顔になる町が、まだ朝らしい空気をまとっている。百メーター道路の角に、ソフトクリームを売っている商店があって、いそいそと買いに行く。
わたしは、この朝の光景を、幾度も幾度も思い出す。
今でも歩いていて花屋の匂いに、あの暗い土間の入り口の光ほぐれる具合に包まれる。
3.
そうこうしていても、女子高生が友達を殺したのだという。
少し前に、ある不正への処罰に関して「決定は決定主の自由なのだ」という茂木さんの意見を目にしたときに、ひとりの学生が「どのように大学時代を過ごそうと(好きなことを優先させることこそは)自分の自由ではないか?大学とはそういうところではないか?」と真剣に問うのを聞いたときに覚えた「自由のイメージ」を思い出した。
それは、どこか一昔前の「アメリカは自由だ」という言葉に込められた日本の側からの「自由のイメージの時代」を彷彿とさせた。
わたしが子どものころに想像するでもなく想像した、バブルなというか、外国はアメリカとフランスだけ、みたいな時代の自由だ。
今の五十代くらいの人々の青春時代に抱いた自由のイメージは、もしかしたらその自由かもしれないなとフト思ったのだけれど、あれから時を経て、わたしたちは「例えたってアメリカの自由もそんなんじゃない」ことをいつの間にか知っているはずだ。
と、この話題と不正と殺人事件が繋がっているという話ではないのだけれど、すこし繋がっているような気がしていて、それは「道徳や倫理は自分と他者を合理的に守る」ために発達したんだろうな、という感覚に通じている。
道徳や倫理と自由はもちろん繋がっている。
必須条件というような繋がり方ではないにしたって。
「道徳や倫理を守るのは格好悪い」という感覚を十代の頃に抱いた経験がある人は少なくないのではないかとおもう。
なにしろ、ここには制服だの校則だの、いろいろありすぎる。
でも、道徳はかっこいい悪いでいうと、「強く他者と自分の関係を守る手段」として、
一度は身につけておくと得策というようなカッコヨク使うことができる仕組みなのかもしれないが、
もしも、親がそのことを感覚的に理解しておらずに、自己を優先させる自由しか知らなかったならば、抑えがたい欲求の方に世界が倒れてしまうためのハードルは下がっているのかもしれない、「自由の証」として。
今日は、朝も夜も鯵南蛮。
母が送ってきた自家製らっきょうの甘酢が残っていたので、それに漬け込んだ。
甘くて冷たくておいしかった。
おいしかったけど、昨夜、三枚におろして骨を取り除いて作った鯵南蛮がもう無くなった。
はるさめサラダも無くなった。
おとといの常備菜「ゴーヤチャンプルー」も無くなった。
むなし。
1.1
調理をしていると祖母と祖母の家を思い出す、の続きだけれども。
祖母は広島の市街地に住んでいた。
百メーター道路(平和大通り)や本通のすぐ近くの三川町に、小さな家があった。
一階の道路に面した土間は、私が小さいときは花屋に貸し出していて、おばあちゃんちに行くときは、花屋の中を通って家に入っていった記憶がある。
その奥にリビングらしきものと風呂と台所とトイレがあり、二階に上がると二間の和室と納戸のようなものがあった。
昔の造りなので、二階には二部屋しかないにも関わらず、つやつやした柱の大きな床の間っぽいスペースがあり、欄間があっただろうと思うし、膝丈くらいの窓からはすぐ下の路面が見下ろせる。
台所は、東京のわたしのアパートよりはマシだろうけれども、かなり狭かった。
でも、そこから見事な料理がいくつもいくつも出てくる。
晴れがましい料理も思い浮かぶけれど、一番記憶にあるのは益子焼きのココットで焼き上げる卵焼きとか、板酒粕に砂糖をいっぱいまぶしてトースターで焼くやつ。
これらは、ひとりで泊まりにいくと朝食に出てきた。
日曜の朝、和室に並べた布団の中から、おばあちゃんと一緒に「兼高かおるの世界の旅」を見る。窓からは日差しが差し込んでいて、見上げる鴨居だか欄間だか長押しだかには会ったことの無いおじいさんの遺影と能面があり、少し頭を傾けると木の形をした台の上の黒電話が見える。
おばあちゃんは明治の人なので「パンヅ」を履いていない。
朝起きると、兄と一緒におばあちゃんの寝間着を覗いては、「パンツ履いてないー!」と笑い転げる。
たっぷり遅くまでゴロゴロしたら、一階に起きて朝食になる。
自分の家での大皿料理と違って明治の人の食事は、どの料理も一人分が銘々によそわれている。
通りを出ると、昼過ぎには「よそ行き」の顔になる町が、まだ朝らしい空気をまとっている。百メーター道路の角に、ソフトクリームを売っている商店があって、いそいそと買いに行く。
わたしは、この朝の光景を、幾度も幾度も思い出す。
今でも歩いていて花屋の匂いに、あの暗い土間の入り口の光ほぐれる具合に包まれる。
3.
そうこうしていても、女子高生が友達を殺したのだという。
少し前に、ある不正への処罰に関して「決定は決定主の自由なのだ」という茂木さんの意見を目にしたときに、ひとりの学生が「どのように大学時代を過ごそうと(好きなことを優先させることこそは)自分の自由ではないか?大学とはそういうところではないか?」と真剣に問うのを聞いたときに覚えた「自由のイメージ」を思い出した。
それは、どこか一昔前の「アメリカは自由だ」という言葉に込められた日本の側からの「自由のイメージの時代」を彷彿とさせた。
わたしが子どものころに想像するでもなく想像した、バブルなというか、外国はアメリカとフランスだけ、みたいな時代の自由だ。
今の五十代くらいの人々の青春時代に抱いた自由のイメージは、もしかしたらその自由かもしれないなとフト思ったのだけれど、あれから時を経て、わたしたちは「例えたってアメリカの自由もそんなんじゃない」ことをいつの間にか知っているはずだ。
と、この話題と不正と殺人事件が繋がっているという話ではないのだけれど、すこし繋がっているような気がしていて、それは「道徳や倫理は自分と他者を合理的に守る」ために発達したんだろうな、という感覚に通じている。
道徳や倫理と自由はもちろん繋がっている。
必須条件というような繋がり方ではないにしたって。
「道徳や倫理を守るのは格好悪い」という感覚を十代の頃に抱いた経験がある人は少なくないのではないかとおもう。
なにしろ、ここには制服だの校則だの、いろいろありすぎる。
でも、道徳はかっこいい悪いでいうと、「強く他者と自分の関係を守る手段」として、
一度は身につけておくと得策というようなカッコヨク使うことができる仕組みなのかもしれないが、
もしも、親がそのことを感覚的に理解しておらずに、自己を優先させる自由しか知らなかったならば、抑えがたい欲求の方に世界が倒れてしまうためのハードルは下がっているのかもしれない、「自由の証」として。
2014/07/31
自分で考えたことを語る。
1
記憶を数日ほど失っていたような目覚めである。
体の不思議だ。
女性は、様々なホルモンによって周期的に身体がぼわっとしたりしなかったりするし、最近では低気圧の影響で、目が見えにくくなるとか頭痛が酷くなるとか、周りでもよく耳にする。
わたしは、そうやって何かの影響で知覚が重くなっていく時の移り変わりにはあまり自覚的にはなれなくて、あるとき、さーっと靄が晴れてやっと、あ、さっきまで(何日も)見えてなかったし、聞こえてなかったんだ、と気づく。
暑さ寒さの盛りには、台所に立つのが億劫になる。
7月の制作集中の「いい加減食」を切り替えようと、昨日から、またちゃんと料理するようになったのだが、外から疲れて帰ってドアを開けた家が熱気でもわっとしているなかでは、もう本当に心の底から台所なんて立ちたくないし、アイスだけ食べられたらそれでいいような状態になる。
うちは台所が狭いので、普段から何をどの順番で作るか?という手順が重要なのだけれど、それに加えて夏は食中毒に注意するために、肉や魚の処理を最後にしたいし、最後に出来なければ(そうしようと思ったら3時間は作業せねばなるまい)、しょっちゅう熱湯で器具を洗い流しながらあれこれを調理せねばならなくて、心底憂鬱になり、出来上がった時にはますます食欲なんか消え去っていて、ただぐったり疲れている、というのがこの二日のことだ。
なので、作っても食べず、翌日の朝か昼に食べている。
そのようにして、weckの本に載っていた「鶏のレモン蒸し」をアレンジして三瓶つくった。
レモンを6月に仕込んだ「塩レモン」に変えて、ワインはアレルギーなので日本酒にして、レモンバームやカルダモンやタイムやローズマリーなどのハーブを数種類と実山椒、レッドペッパーを散らして蒸した。
一瓶を食べてみたら、おいしかった。
とっても。
こういうのは、その時々のハーブの組み合わせだから二度と同じのは出来ない。
塩レモン、優秀だ。
わたしは、わたしの作る料理がすきだ。
でも、他人にもおいしいのかどうかというと、実際のところ、よくわからない。
ハーブやスパイスが効いたこの味を、実家の父や兄なんかは絶対に嫌いだ。
そう思うと、暑いわ寒いわのなかで一年中、文句言い放題の全員の好みに合わせて調理をする「家族の中の料理人」にはますます敬意を感じるしかなく、そういう想いにかられる時にはもちろん母のことを心にイメージするのだけれど、
でも、調理している時にはなぜか祖母の姿が浮かび上がる。
祖母は、年をとってから後の長い時間を一人で暮らした。
2
と、ここまで書いたところで友人から電話があり、いろいろおしゃべりしたら、
とりついていた疲れが吹き飛んだ。
不思議なことにB&Bでの一夜は評判が悪くなく、足を運んでくださった人々から感想をいただいている。
他のイベントとの違いは自分ではよくわからないのだけれど友人はさすがで、様々な視点で何が客席に起こっていたかを教えてくれた。
今回、拘ったことがある。
根拠の弱いこと、論理の通っていない考えを、語ることをする。
そして、曖昧ならば曖昧なところをスタートに語り、曖昧では無くなるところがあれば詰めて曖昧にしないで語る。
わたしは私が考えたことを語る。
いつも敢えて目指さなくてもそうしてきたつもりだし、誰の仕事もそうであるべきだと信じているが、今回は、わたしは、その他の何が成功しなくてもいいけれど「絶対そうする」。
その地点を毎晩毎晩目指して準備したら、稽古しないのに稽古のある作品並みに疲れた。
数年の間、データから作られる音や映像に向き合った。
システムとロジックが構築されて、半ば自動的に中身が生成される世界だ。
今回は、ある意味でのシステムは作るが、中身は自動生成されない。
古くからある「人間に大量にうごめいている、よくわからない中身」しかない。
そのよくわからない中身について語っていいのがアートである、ということだけを心に置いて語った。
これは、「美術とは何か?」という数年来の自分への問いに対するひとつの回答だった。
平凡だけれども、広がりのある回答だった。
そして翻って、自律システムと向き合うおもしろさを、自分の内的には確認した。
記憶を数日ほど失っていたような目覚めである。
体の不思議だ。
女性は、様々なホルモンによって周期的に身体がぼわっとしたりしなかったりするし、最近では低気圧の影響で、目が見えにくくなるとか頭痛が酷くなるとか、周りでもよく耳にする。
わたしは、そうやって何かの影響で知覚が重くなっていく時の移り変わりにはあまり自覚的にはなれなくて、あるとき、さーっと靄が晴れてやっと、あ、さっきまで(何日も)見えてなかったし、聞こえてなかったんだ、と気づく。
暑さ寒さの盛りには、台所に立つのが億劫になる。
7月の制作集中の「いい加減食」を切り替えようと、昨日から、またちゃんと料理するようになったのだが、外から疲れて帰ってドアを開けた家が熱気でもわっとしているなかでは、もう本当に心の底から台所なんて立ちたくないし、アイスだけ食べられたらそれでいいような状態になる。
うちは台所が狭いので、普段から何をどの順番で作るか?という手順が重要なのだけれど、それに加えて夏は食中毒に注意するために、肉や魚の処理を最後にしたいし、最後に出来なければ(そうしようと思ったら3時間は作業せねばなるまい)、しょっちゅう熱湯で器具を洗い流しながらあれこれを調理せねばならなくて、心底憂鬱になり、出来上がった時にはますます食欲なんか消え去っていて、ただぐったり疲れている、というのがこの二日のことだ。
なので、作っても食べず、翌日の朝か昼に食べている。
そのようにして、weckの本に載っていた「鶏のレモン蒸し」をアレンジして三瓶つくった。
レモンを6月に仕込んだ「塩レモン」に変えて、ワインはアレルギーなので日本酒にして、レモンバームやカルダモンやタイムやローズマリーなどのハーブを数種類と実山椒、レッドペッパーを散らして蒸した。
一瓶を食べてみたら、おいしかった。
とっても。
こういうのは、その時々のハーブの組み合わせだから二度と同じのは出来ない。
塩レモン、優秀だ。
わたしは、わたしの作る料理がすきだ。
でも、他人にもおいしいのかどうかというと、実際のところ、よくわからない。
ハーブやスパイスが効いたこの味を、実家の父や兄なんかは絶対に嫌いだ。
そう思うと、暑いわ寒いわのなかで一年中、文句言い放題の全員の好みに合わせて調理をする「家族の中の料理人」にはますます敬意を感じるしかなく、そういう想いにかられる時にはもちろん母のことを心にイメージするのだけれど、
でも、調理している時にはなぜか祖母の姿が浮かび上がる。
祖母は、年をとってから後の長い時間を一人で暮らした。
2
と、ここまで書いたところで友人から電話があり、いろいろおしゃべりしたら、
とりついていた疲れが吹き飛んだ。
不思議なことにB&Bでの一夜は評判が悪くなく、足を運んでくださった人々から感想をいただいている。
他のイベントとの違いは自分ではよくわからないのだけれど友人はさすがで、様々な視点で何が客席に起こっていたかを教えてくれた。
今回、拘ったことがある。
根拠の弱いこと、論理の通っていない考えを、語ることをする。
そして、曖昧ならば曖昧なところをスタートに語り、曖昧では無くなるところがあれば詰めて曖昧にしないで語る。
わたしは私が考えたことを語る。
いつも敢えて目指さなくてもそうしてきたつもりだし、誰の仕事もそうであるべきだと信じているが、今回は、わたしは、その他の何が成功しなくてもいいけれど「絶対そうする」。
その地点を毎晩毎晩目指して準備したら、稽古しないのに稽古のある作品並みに疲れた。
数年の間、データから作られる音や映像に向き合った。
システムとロジックが構築されて、半ば自動的に中身が生成される世界だ。
今回は、ある意味でのシステムは作るが、中身は自動生成されない。
古くからある「人間に大量にうごめいている、よくわからない中身」しかない。
そのよくわからない中身について語っていいのがアートである、ということだけを心に置いて語った。
これは、「美術とは何か?」という数年来の自分への問いに対するひとつの回答だった。
平凡だけれども、広がりのある回答だった。
そして翻って、自律システムと向き合うおもしろさを、自分の内的には確認した。
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